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「QT PROモーニングビジネススクール」の毎日のオンエア内容をポッドキャスティングやブログでお届け。パソコンはもちろん、スマートフォンでも快適にご覧いただけます。

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株主総会について2

後日掲載致します。

-1 s3 days ago
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株主総会について2

株主総会について1

後日掲載致します。

-1 s4 days ago
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株主総会について1

ブックレビュー(12) 寺田寅彦『柿の種』岩波文庫

今回は、寺田寅彦の『柿の種』という岩波文庫版の短文集を紹介したいと思います。この本は一見ビジネスとは何の関係もないように思われるでしょうから、ここで紹介することに多少躊躇いはあったのです。しかし、この本の内容は私たちのものの見方、考え方に新しい窓を開いてくれる清々しい視点や着想に満ち溢れていて、それは困難な課題に直面しているひとたちを解決に導く糸口にもなるのではないかと思われるので、私は経営に関わる方々が是非、座右に置かれることをお薦めしたいのです。 作者の寺田寅彦は、1878年(明治11年)に東京で生まれましたが、熊本の第五高等学校で学んでおり、そこで英語教師として赴任していた夏目漱石の教えを受け、以後、漱石との交流は生涯に亘るものとなっています。五校卒業後、寅彦は東京帝国大学の理科に進学し、1903年には同大学を首席で卒業して大学院に進学し、翌年、講師に就任しています。この頃の寅彦が、漱石の『吾輩は猫である』に登場する水島寒月のモデルとなったことはよく知られています。 物理学者としての寅彦は、X線を用いた解析実験などの領域で業績を上げ、1916年には東京帝国大学教授に就任しますが、1935年(昭和10年)、57歳で病没しました。この間、寅彦は吉村冬彦という筆名で何冊かの句集を刊行し、また多くの随筆を残しました。随筆集は、岩波文庫版だけで全5冊に及びますが、ここで紹介する『柿の種』は、随筆集とは別に、俳句雑誌などに掲載された短文を集録して編まれたものです。1つ1つの文章は大抵、1頁か2頁の大変短いものなので、僅かな時間があれば、いつでも何処からでも読むことができます。 さて、その内容ですが、ほとんどの文章は日常生活の中での、ふとした感想や印象をスケッチしたものです。ただ、そこに様々な事象に対する非常に豊かな感受性や、深い洞察力を垣間見ることができるのです。 例えば、自然現象に関するいかにも科学者らしい洞察を窺わせる文章があります。寅彦と言えば、「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉を残した人として思い出す方もいるかも知れません。この言葉通りの文は寅彦の書き残した文章の中には見出されていないのですが、日頃よくそのような発言をしていたことが知られています。この本の中にも、こういう一文があります。震災や風水害に関する科学的知識や、これに対する平生の心得を小学校の教科書に入れることが必要なのは、問題にならぬほど明白なことであるのに、これがいっこうに実行されないので時々問題になるのだと。そして、小学生を教える前にまず文部省を教育しなければならないのかも知れないと言っています。 科学者としての寅彦が深い洞察力に恵まれた人であったことは、この他、油絵を描くときに各部分を実物どおりに描くことが出来ても、全体はさっぱり実物らしくならないという感想を述べた一文にも窺えます。これは、後に流行した一般システム論の命題を先取りしたような見方です。 しかし、ものの見方を変えるということについて、私が特に多くを教えられるのは、何気ない印象を手掛かりに対象の見方が変わった経験を寅彦が記した文章からです。例えば、大学の構内を歩いていて、病院の方から子どもをおぶって出て来た男をみたときの印象を記した文章があります。近づいてみると、男の顔は何かの皮膚病による疣で一面に覆われていて、「見るもおぞましく、身の毛がよだつよう」であったと記した後、寅彦は次のように書いています。  背中の子供は、やっと三つか四つのかわいい女の子であったが、世にもうららかな顔をして、この恐ろしい男の背にすがっていた。  そうして、「おとうちゃん」と呼びかけては、何かしら片言で話している。  そのなつかしそうな声を聞いたときに、私は、急に何ものかが胸の中で溶けて流れるような心持ちがした。   この時、寅彦の胸の中で溶けて流れたものというのは、無論、まず男の外見のみに喚起された恐怖というネガティブな反応だったでしょう。それが流れ去ったのは、ひとつには不幸な病に冒されながらも子供を慈しむ優しい家庭人としての男の一面を瞬時に見ることができたからであり、また背中の女の子のうららかな様子が病に冒された外見の印象など人間の本質とは無関係であることを教えていたからでしょう。 それにしても、この「うららかな」という表現といい、「すがっていた」「なつかしそうな」という表現といい、何と美しい言葉の選び方でしょうか。ここには文学者としての寺田寅彦の非凡な才能を窺うことができます。 今回のまとめ: この本は、私たちのものの見方や考え方に新しい窓を開いてくれる短文集です。

-1 s5 days ago
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ブックレビュー(12) 寺田寅彦『柿の種』岩波文庫

ブックレビュー(11)マキアヴェッリ(河島英昭訳)『君主論』(岩波文庫)

今回はブックレビューとして、マキアヴェッリの『君主論』を取り上げてみます。 昔からリーダーたる者が読むべき古典として度々挙げられてきた書物なので、この番組でも紹介しておきたいと思ったのですが、追って申し上げるように、私はこの書物が指南している君主のあり方を、ビジネスリーダーが直接学ぶべきものと考えているわけではありません。なお、入手可能な邦訳書は少なくとも6通り以上ありますが、ここでは岩波文庫の新訳版を参照します。 著者のニッコロ・マキアヴェッリは、1469年、つまりルネッサンス期にイタリアのフィレンツェ市で生まれました。マキアヴェッリの家系は貴族ではないけれども旧家であり、父親は法律家であったことが知られています。 マキアヴェッリは、1498年、29歳のときにフィレンツェ政庁の書記官に就任するのですが、この間、フィレンツェをめぐる政権は大きく変動しています。 マキアヴェッリが生まれた年の末には、共和制であったフィレンツェを実質的に支配者していたピエーロ・デ・メーディチが亡くなり、実権が二人の息子に移るのですが、そのうち弟は陰謀によって殺され、危うく難を逃れた兄ロレンツォが、その後メーディチ家の繁栄を築くことになります。このロレンツォが1492年に亡くなると、フィレンツェの政権は息子のピエーロに受け継がれることになるのですが、ピエーロは政治的に無能であったため、1494年にフランス王シャルル8世のイタリア侵攻を許してしまい、それが元でフィレンツェ市民に追放され、一時、メーディチ家の政権は崩壊します。 こうしてメーディチ家の世襲による君主制から、共和制に復した後のフィレンツェで、マキアヴェッリは書記官に就任し、以後14年間に亘って外交任務を帯びた仕事などを担っていきます。 ところが、1512年にフィレンツェがスペイン軍の攻撃を受けたとき、武装したメーディチ派の人々が、フィレンツェの都市と全住民の破滅を回避するためと称して市庁舎に乱入し、当時共和制を敷いていたソデリーニを退陣させるという事態が起こり、メーディチ家による君主制が復権します。翌1513年、ソデリーニの右腕であったマキアヴェッリは、反メーディチの陰謀に加わったという嫌疑を受けて投獄されてしまいます。ただ、間もなく恩赦によって釈放されています。『君主論』の原稿は、釈放後に執筆されたと推定されていますが、その出版は1532年、マキアヴェッリが貧しい生活の中で亡くなってから5年後のことでした。その冒頭には、メーディチ家の人物に対する献辞が掲げられており、その意図について後世の人々は様々な憶測をめぐらしています。 長くなりましたが、こうした背景を踏まえてみると、『君主論』を字義通りに読むことで、マキアヴェッリが考えていた政治の理想像が理解できると考えることはあまりにも素朴であることが分かります。 マキアヴェッリは、まずあらゆる支配体制は共和制か君主制のいずれかであると述べた上で、本書で議論する対象を君主制に絞り、特に新たに獲得された君主の権力が維持されるための要件について、次のように論じて行きます。古い君主の血筋は抹消してしまうこと、新しい支配地の人民は優しく手なずけるか、さもなければ抹殺してしまうこと、新たに支配した都市は抹消するか、そこへ行って住むこと、加害行為はまとめて一度になし、恩恵の方は少しずつ施すこと、良き法律と良き軍備を土台として持つこと、軍備は自前で持つこと、平時においては戦時よりも一層軍事訓練に励むこと、政権を守るためには悪評を恐れてはならないこと、慕われるよりも恐れられていた方がはるかに安全であること、憎悪や軽蔑を招く行為は避けること、中立を守るより一方に身方する態度を明確にした方が良いこと、君主よりも自分のことを考えている側近を断じて信頼してはならないこと。こうした政権維持の要件は、人間というものは生来、邪悪なものだという認識を前提にしています。 『君主論』の教えは、政権の維持という目的のためには手段を選ばず権謀術数を尽す現実的な政治思想として解釈されてきました。その教えは今日でも有効性を持つかも知れませんが、それが有効性を持つような世界が、もともと共和制の支持者であったマキアヴェッリの理想像であったとは考えらません。実際、『君主論』を手本として行動する政治家や経営者がいたとすれば、それは惨めなほど孤独な存在だと言わざるを得ません。『君主論』の古典としての価値は、その教えを反面教師として読むところにあると私は思います。 今日のまとめ: マキアヴェッリが構想していた支配者の理想像は、『君主論』の教えを反面教師として読むところに見出されます。

-1 s6 days ago
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ブックレビュー(11)マキアヴェッリ(河島英昭訳)『君主論』(岩波文庫)

幸福・成功のための哲学21ー本心良心①

後日掲載致します。

-1 s1 weeks ago
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幸福・成功のための哲学21ー本心良心①

幸福・成功のための哲学20一感謝②

後日掲載致します。

-1 s1 weeks ago
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幸福・成功のための哲学20一感謝②

ビジネスパーソンの悩み相談⑱セクション制について

後日掲載いたします。

-1 s1 weeks ago
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ビジネスパーソンの悩み相談⑱セクション制について

アントレプレナーシップ教育者向けシンポジウム(その4)

・今回は、米国バブソン大学のアントレプレナーシップ教育者向けシンポジウム(SEE)の様子を総括してみたい。 ・毎日のセッション(朝8時から夕方5時過ぎまで)と夕食が終わった後に、グループごとに集まって、最終日のロケットピッチ(3分間、数枚のスライドでアイデアをピッチする)の準備を行ったのだが、自分のグループでは、既存企業におけるアントレプレナーシップ、すなわちイントレプレナー育成のためのコンサルティングをテーマとして議論し、発表内容をとりまとめた。特に、従業員個人のアントレプレナーシップと、企業組織としてのイントレプレナーシップの両方をアセスメントするという内容を含めて企業にコンサルティングを行う点がポイントである。 ・最終日の午前中に、各グループが趣向をこらしたロケットピッチを行うのだが、正直なところ、日本人が英語ネイティブのメンバーに交じってプレゼンするのはそれなりに気を揉む(特に、英語ネイティブの人たちにありがちな、あの弾けた明るい感じのプレゼンに一緒に参加するので・・・)。加えて、発表直前になって一人のメンバーが「あなたの最後の締めの言葉には、XXXXを追加したほうが良い」と、シナリオ...

-1 s2 weeks ago
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アントレプレナーシップ教育者向けシンポジウム(その4)

アントレプレナーシップ教育者向けシンポジウム(その3)

・今回も、前回に続いて米国バブソン大学のアントレプレナーシップ教育者向けシンポジウム(SEE)の様子を報告したい。 ・約10年前に一度参加したときから、今回は内容もずいぶん変化していた。その一つが、ビジュアル・ランゲージとプロトタイピングのセッションが含まれていたことだ。これは、同大学のキャンパス内に、数年前にワイズマン・ファウンドリーというデザインやモノづくりができる共通スペースが整備されたことも関係している。 ・ワイズマン・ファウンドリーは、大きなスタジオや3Dプリンタ、AR/VR関連施設、伝統的な工具類などを備えた工房のようなスペースからなる約1,000平米の施設で、学生たちがアイデアに基づいて協力し、デザインという要素を取り込み、実験しながらモノづくりができる環境が整えられている。 ・重要なのは、このファウンドリーでは、バブソン大学(起業家教育が中心)のみならず、隣接するオーリン(工科大学)や近隣のウェルズリー(女子大学)の学生たちがチームを組成して活動できる環境や仕組みが整えられていることである(総称してBOW studentsと呼ばれる)。施設は365日24時間オープンしているのだが、その管理のほとんどは「...

-1 s2 weeks ago
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アントレプレナーシップ教育者向けシンポジウム(その3)

業界標準と競争戦略(2)

前回から、業界標準と競争戦略という話をしています。前回は、最初は色々な技術方式や標準が登場するが、競争の結果、事実上、特定の標準が定まっていくことから「デファクト・スタンダード」というということをお話しました。 このデファクト・スタンダードですが、勝った陣営が全ての利益を取っていく、勝者総取りという側面があるがゆえに、関係者の間でもこのデファクト・スタンダードに対するある種の警戒感が高まってきました。負ければ全て失う事になってしまいますので、いわゆるコンセンサス標準を目指す動きが出てきました。コンセンサス、つまり合意です。市場に技術を出す前に、話し合いである程度合意していこうという動きが出てきました。 同業他社でライバルではあるけれども、複数の技術方式が立ち上げられそうだということは事前にある程度分かるわけです。そうした時に事前に関係企業で話し合って技術方式の一本化を図ろうというわけです。そういう形で出来上がった標準の事を「コンセンサス標準」、つまり合意に基づいた標準と言うわけです。 その代表的な事例としては2000年代の初め頃に展開された、次世代DVDを巡る競争があります。当時、DVDの...

-1 s2 weeks ago
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業界標準と競争戦略(2)

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株主総会について2

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株主総会について2

株主総会について1

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ブックレビュー(12) 寺田寅彦『柿の種』岩波文庫

今回は、寺田寅彦の『柿の種』という岩波文庫版の短文集を紹介したいと思います。この本は一見ビジネスとは何の関係もないように思われるでしょうから、ここで紹介することに多少躊躇いはあったのです。しかし、この本の内容は私たちのものの見方、考え方に新しい窓を開いてくれる清々しい視点や着想に満ち溢れていて、それは困難な課題に直面しているひとたちを解決に導く糸口にもなるのではないかと思われるので、私は経営に関わる方々が是非、座右に置かれることをお薦めしたいのです。 作者の寺田寅彦は、1878年(明治11年)に東京で生まれましたが、熊本の第五高等学校で学んでおり、そこで英語教師として赴任していた夏目漱石の教えを受け、以後、漱石との交流は生涯に亘るものとなっています。五校卒業後、寅彦は東京帝国大学の理科に進学し、1903年には同大学を首席で卒業して大学院に進学し、翌年、講師に就任しています。この頃の寅彦が、漱石の『吾輩は猫である』に登場する水島寒月のモデルとなったことはよく知られています。 物理学者としての寅彦は、X線を用いた解析実験などの領域で業績を上げ、1916年には東京帝国大学教授に就任しますが、1935年(昭和10年)、57歳で病没しました。この間、寅彦は吉村冬彦という筆名で何冊かの句集を刊行し、また多くの随筆を残しました。随筆集は、岩波文庫版だけで全5冊に及びますが、ここで紹介する『柿の種』は、随筆集とは別に、俳句雑誌などに掲載された短文を集録して編まれたものです。1つ1つの文章は大抵、1頁か2頁の大変短いものなので、僅かな時間があれば、いつでも何処からでも読むことができます。 さて、その内容ですが、ほとんどの文章は日常生活の中での、ふとした感想や印象をスケッチしたものです。ただ、そこに様々な事象に対する非常に豊かな感受性や、深い洞察力を垣間見ることができるのです。 例えば、自然現象に関するいかにも科学者らしい洞察を窺わせる文章があります。寅彦と言えば、「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉を残した人として思い出す方もいるかも知れません。この言葉通りの文は寅彦の書き残した文章の中には見出されていないのですが、日頃よくそのような発言をしていたことが知られています。この本の中にも、こういう一文があります。震災や風水害に関する科学的知識や、これに対する平生の心得を小学校の教科書に入れることが必要なのは、問題にならぬほど明白なことであるのに、これがいっこうに実行されないので時々問題になるのだと。そして、小学生を教える前にまず文部省を教育しなければならないのかも知れないと言っています。 科学者としての寅彦が深い洞察力に恵まれた人であったことは、この他、油絵を描くときに各部分を実物どおりに描くことが出来ても、全体はさっぱり実物らしくならないという感想を述べた一文にも窺えます。これは、後に流行した一般システム論の命題を先取りしたような見方です。 しかし、ものの見方を変えるということについて、私が特に多くを教えられるのは、何気ない印象を手掛かりに対象の見方が変わった経験を寅彦が記した文章からです。例えば、大学の構内を歩いていて、病院の方から子どもをおぶって出て来た男をみたときの印象を記した文章があります。近づいてみると、男の顔は何かの皮膚病による疣で一面に覆われていて、「見るもおぞましく、身の毛がよだつよう」であったと記した後、寅彦は次のように書いています。  背中の子供は、やっと三つか四つのかわいい女の子であったが、世にもうららかな顔をして、この恐ろしい男の背にすがっていた。  そうして、「おとうちゃん」と呼びかけては、何かしら片言で話している。  そのなつかしそうな声を聞いたときに、私は、急に何ものかが胸の中で溶けて流れるような心持ちがした。   この時、寅彦の胸の中で溶けて流れたものというのは、無論、まず男の外見のみに喚起された恐怖というネガティブな反応だったでしょう。それが流れ去ったのは、ひとつには不幸な病に冒されながらも子供を慈しむ優しい家庭人としての男の一面を瞬時に見ることができたからであり、また背中の女の子のうららかな様子が病に冒された外見の印象など人間の本質とは無関係であることを教えていたからでしょう。 それにしても、この「うららかな」という表現といい、「すがっていた」「なつかしそうな」という表現といい、何と美しい言葉の選び方でしょうか。ここには文学者としての寺田寅彦の非凡な才能を窺うことができます。 今回のまとめ: この本は、私たちのものの見方や考え方に新しい窓を開いてくれる短文集です。

-1 s5 days ago
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ブックレビュー(12) 寺田寅彦『柿の種』岩波文庫

ブックレビュー(11)マキアヴェッリ(河島英昭訳)『君主論』(岩波文庫)

今回はブックレビューとして、マキアヴェッリの『君主論』を取り上げてみます。 昔からリーダーたる者が読むべき古典として度々挙げられてきた書物なので、この番組でも紹介しておきたいと思ったのですが、追って申し上げるように、私はこの書物が指南している君主のあり方を、ビジネスリーダーが直接学ぶべきものと考えているわけではありません。なお、入手可能な邦訳書は少なくとも6通り以上ありますが、ここでは岩波文庫の新訳版を参照します。 著者のニッコロ・マキアヴェッリは、1469年、つまりルネッサンス期にイタリアのフィレンツェ市で生まれました。マキアヴェッリの家系は貴族ではないけれども旧家であり、父親は法律家であったことが知られています。 マキアヴェッリは、1498年、29歳のときにフィレンツェ政庁の書記官に就任するのですが、この間、フィレンツェをめぐる政権は大きく変動しています。 マキアヴェッリが生まれた年の末には、共和制であったフィレンツェを実質的に支配者していたピエーロ・デ・メーディチが亡くなり、実権が二人の息子に移るのですが、そのうち弟は陰謀によって殺され、危うく難を逃れた兄ロレンツォが、その後メーディチ家の繁栄を築くことになります。このロレンツォが1492年に亡くなると、フィレンツェの政権は息子のピエーロに受け継がれることになるのですが、ピエーロは政治的に無能であったため、1494年にフランス王シャルル8世のイタリア侵攻を許してしまい、それが元でフィレンツェ市民に追放され、一時、メーディチ家の政権は崩壊します。 こうしてメーディチ家の世襲による君主制から、共和制に復した後のフィレンツェで、マキアヴェッリは書記官に就任し、以後14年間に亘って外交任務を帯びた仕事などを担っていきます。 ところが、1512年にフィレンツェがスペイン軍の攻撃を受けたとき、武装したメーディチ派の人々が、フィレンツェの都市と全住民の破滅を回避するためと称して市庁舎に乱入し、当時共和制を敷いていたソデリーニを退陣させるという事態が起こり、メーディチ家による君主制が復権します。翌1513年、ソデリーニの右腕であったマキアヴェッリは、反メーディチの陰謀に加わったという嫌疑を受けて投獄されてしまいます。ただ、間もなく恩赦によって釈放されています。『君主論』の原稿は、釈放後に執筆されたと推定されていますが、その出版は1532年、マキアヴェッリが貧しい生活の中で亡くなってから5年後のことでした。その冒頭には、メーディチ家の人物に対する献辞が掲げられており、その意図について後世の人々は様々な憶測をめぐらしています。 長くなりましたが、こうした背景を踏まえてみると、『君主論』を字義通りに読むことで、マキアヴェッリが考えていた政治の理想像が理解できると考えることはあまりにも素朴であることが分かります。 マキアヴェッリは、まずあらゆる支配体制は共和制か君主制のいずれかであると述べた上で、本書で議論する対象を君主制に絞り、特に新たに獲得された君主の権力が維持されるための要件について、次のように論じて行きます。古い君主の血筋は抹消してしまうこと、新しい支配地の人民は優しく手なずけるか、さもなければ抹殺してしまうこと、新たに支配した都市は抹消するか、そこへ行って住むこと、加害行為はまとめて一度になし、恩恵の方は少しずつ施すこと、良き法律と良き軍備を土台として持つこと、軍備は自前で持つこと、平時においては戦時よりも一層軍事訓練に励むこと、政権を守るためには悪評を恐れてはならないこと、慕われるよりも恐れられていた方がはるかに安全であること、憎悪や軽蔑を招く行為は避けること、中立を守るより一方に身方する態度を明確にした方が良いこと、君主よりも自分のことを考えている側近を断じて信頼してはならないこと。こうした政権維持の要件は、人間というものは生来、邪悪なものだという認識を前提にしています。 『君主論』の教えは、政権の維持という目的のためには手段を選ばず権謀術数を尽す現実的な政治思想として解釈されてきました。その教えは今日でも有効性を持つかも知れませんが、それが有効性を持つような世界が、もともと共和制の支持者であったマキアヴェッリの理想像であったとは考えらません。実際、『君主論』を手本として行動する政治家や経営者がいたとすれば、それは惨めなほど孤独な存在だと言わざるを得ません。『君主論』の古典としての価値は、その教えを反面教師として読むところにあると私は思います。 今日のまとめ: マキアヴェッリが構想していた支配者の理想像は、『君主論』の教えを反面教師として読むところに見出されます。

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幸福・成功のための哲学21ー本心良心①

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幸福・成功のための哲学20一感謝②

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ビジネスパーソンの悩み相談⑱セクション制について

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アントレプレナーシップ教育者向けシンポジウム(その4)

・今回は、米国バブソン大学のアントレプレナーシップ教育者向けシンポジウム(SEE)の様子を総括してみたい。 ・毎日のセッション(朝8時から夕方5時過ぎまで)と夕食が終わった後に、グループごとに集まって、最終日のロケットピッチ(3分間、数枚のスライドでアイデアをピッチする)の準備を行ったのだが、自分のグループでは、既存企業におけるアントレプレナーシップ、すなわちイントレプレナー育成のためのコンサルティングをテーマとして議論し、発表内容をとりまとめた。特に、従業員個人のアントレプレナーシップと、企業組織としてのイントレプレナーシップの両方をアセスメントするという内容を含めて企業にコンサルティングを行う点がポイントである。 ・最終日の午前中に、各グループが趣向をこらしたロケットピッチを行うのだが、正直なところ、日本人が英語ネイティブのメンバーに交じってプレゼンするのはそれなりに気を揉む(特に、英語ネイティブの人たちにありがちな、あの弾けた明るい感じのプレゼンに一緒に参加するので・・・)。加えて、発表直前になって一人のメンバーが「あなたの最後の締めの言葉には、XXXXを追加したほうが良い」と、シナリオ...

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アントレプレナーシップ教育者向けシンポジウム(その3)

・今回も、前回に続いて米国バブソン大学のアントレプレナーシップ教育者向けシンポジウム(SEE)の様子を報告したい。 ・約10年前に一度参加したときから、今回は内容もずいぶん変化していた。その一つが、ビジュアル・ランゲージとプロトタイピングのセッションが含まれていたことだ。これは、同大学のキャンパス内に、数年前にワイズマン・ファウンドリーというデザインやモノづくりができる共通スペースが整備されたことも関係している。 ・ワイズマン・ファウンドリーは、大きなスタジオや3Dプリンタ、AR/VR関連施設、伝統的な工具類などを備えた工房のようなスペースからなる約1,000平米の施設で、学生たちがアイデアに基づいて協力し、デザインという要素を取り込み、実験しながらモノづくりができる環境が整えられている。 ・重要なのは、このファウンドリーでは、バブソン大学(起業家教育が中心)のみならず、隣接するオーリン(工科大学)や近隣のウェルズリー(女子大学)の学生たちがチームを組成して活動できる環境や仕組みが整えられていることである(総称してBOW studentsと呼ばれる)。施設は365日24時間オープンしているのだが、その管理のほとんどは「...

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業界標準と競争戦略(2)

前回から、業界標準と競争戦略という話をしています。前回は、最初は色々な技術方式や標準が登場するが、競争の結果、事実上、特定の標準が定まっていくことから「デファクト・スタンダード」というということをお話しました。 このデファクト・スタンダードですが、勝った陣営が全ての利益を取っていく、勝者総取りという側面があるがゆえに、関係者の間でもこのデファクト・スタンダードに対するある種の警戒感が高まってきました。負ければ全て失う事になってしまいますので、いわゆるコンセンサス標準を目指す動きが出てきました。コンセンサス、つまり合意です。市場に技術を出す前に、話し合いである程度合意していこうという動きが出てきました。 同業他社でライバルではあるけれども、複数の技術方式が立ち上げられそうだということは事前にある程度分かるわけです。そうした時に事前に関係企業で話し合って技術方式の一本化を図ろうというわけです。そういう形で出来上がった標準の事を「コンセンサス標準」、つまり合意に基づいた標準と言うわけです。 その代表的な事例としては2000年代の初め頃に展開された、次世代DVDを巡る競争があります。当時、DVDの...

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