昨日、食料を買うために家を出て歩いていると、すぐ近くで街頭放送の音が聴こえました。 私が暮らす街の市長が現在のコロナの危機的な狀況を訴え、 ワクチンを打っても不要不急の外出は控えてくださいとアナウンスしていました。 市長自身が街頭放送で直接呼びかけるのは初めてのことです。 一日の感染者がかつてない數に達していると語る聲は沈痛でした。 私はこの時、「これはただ事ではない」と思いました。 戦時下の空襲警報は、このようなものだったのかもしれないと想像しました。 今も數多くの人々が、感染しながらも入院先がなく、 不安の中に自宅で時を過ごしていると聞きます。 救急車が來ても、そのまま置いて行かれることも少なくないといいます。 こうした方々の恐怖と不安はいかばかりでしょうか? 想像することさえできません。 ある醫師は醫療狀況は逼迫しているのではなく、 すでに崩壊しているとテレビで言っていました。 私の街も、昨年の同時期に比べ、一日の感染者數が十數倍に達しています。 病床の稼働率は100%で、感染しても入院はほぼ不可能でしょう。 多くの人々がいつ終息するとも知れぬコロナの恐怖と闘い疲弊しています。 しかし私たちは生き...
今回は夏休み期間中ということで、これまでのように交響曲まるごと1曲ではなく、 様々な楽曲からいいところを集めたオムニバス形式でお屆けします。 中には1楽章すら完全ではないものもあります。 ですが、とにかく楽曲中の美しい旋律に光を當てたいと思い、あえてそうした形にしました。 モーツァルト:交響曲第25番 ト短調 K.183 第1楽章 モーツァルトの生涯を描いた映畫「アマデウス」で印象的に使用されて以來、 一躍人気曲になった楽章です。 モーツァルトは41曲の交響曲を書いていますが、短調は25番と40番のみでいずれもト短調です。 冒頭のシンコペーションの主題は鮮烈で、シンプルながらインパクト大です。 カリンニコフ:交響曲第1番 ト短調 第1楽章 提示部 カリンニコフは若くしてこの世を去ったロシアの作曲家で、 作品數は少ないものの、特に2つの交響曲によってその名を殘しています。 晩年の病床ではもはや自身で譜面を書くことさえできず、 傍らにいた妻が口述筆記の形で、代わりに書いていたともいわれています。 そう思いながらこの楽章の主題を聴くと、胸に迫るものがあります。 ラフマニノフ:交響曲第2番 ホ短調 Op.27 第3楽章より 交響曲の名曲とし...
『シンドラーのリスト』は、スティーヴン・スピルバーグ監督による1993年のアメリカ映畫。 第二次世界大戦時にドイツによるユダヤ人の組織的ホロコーストが東歐のドイツ占領地で進む中、 ドイツ人実業家オスカー・シンドラーが1100人以上ものポーランド系ユダヤ人を自身が経営する 軍需工場に必要な生産力との名目で絶滅収容所送りを阻止し、その命を救った実話を描いています。 シンドラーは決して絵に描いたような善人の英雄ではなく、むしろ快楽主義に取りつかれた遊び人で、 プレイボーイのライフスタイルを楽しみ、生きることをそのすべての面で享受していました。 同時代の人たちから見てくれよく育ってきた人間とみなされて、上流社會の中で立ち回り、 良い身なりをし、女性たちからももてはやされ、金銭を湯水のように使っていました。 當初は戦爭に乗じてひと儲けするためにポーランドにやって來たシンドラーでしたが、 ポーランド系ユダヤ人たちに対するナチス黨政権の度を越えた弾圧に不信感を募らせ、 自らもナチ黨であったにも関わらず、無力なユダヤ人住民たちを救うことに意識が転換していきました。 やがて出來る限り多くのユダヤ人を救済したいという願望...
映畫「ロッキー」の主人公ロッキー・バルモアは、フィラデルフィアに暮らす無名のボクサーでした。 才能がありながらもそれを活かそうともせず、4回戦ボーイとして日銭を稼ぐ日々。 これといった目的も持たず、ただ自墮落に過ごすだけの生活でした。 そんな彼にあるチャンスが舞い込みます。 それは無敵の王者アポロが無名の選手を相手にしたイベント試合を行うというもので、 その相手として何人かの候補の中からロッキーが選ばれたのです。 最初はこれを拒否するロッキーでしたが、週囲の勧めや愛するエイドリアンのため、 そして何より自分自身のために、この無謀な試合に挑むことを決意します。 それまでとは打って変わって過酷なトレーニングにも耐え、 自分の人生をかけた闘いに正面から向き合うロッキー。 しかし、はなからアポロに勝てるはずがないとわかっていたロッキーは、 とにかく最終15ラウンドまで闘いぬくことを目標とし、それをエイドリアンに告げます。 試合ではアポロに激しいパンチを浴び、腫れ上がった顔でフラフラしながらも、 ついにロッキーは王者アポロを相手に、互角の試合で全ラウンドを成し遂げます。 判定にもつれ込んだ試合は結果として僅差...
ベートーヴェンの管弦楽作品を堪能しようとする場合、真っ先に挙げられるのが、 九つの交響曲であるのはもちろんのことですが、全部で11曲ある序曲にも、 彼の交響曲レベルの感動と充足感をもたらしてくれる作品は少なくありません。 ベートーヴェンが生涯に作曲したオペラは「フィデリオ」のみで、 11曲中の4曲は「フィデリオ」から生まれています。 その中の「レオノーレ序曲 第3番」を含む、代表作を3曲お屆けします。 序曲とは言え、3曲を通して聴くと40分近いので、 あたかも交響曲を1曲聴いたかのような満足感を得ていただけると思います。 コリオラン序曲 Op.62 ブルタークの英雄伝に登場するローマの英雄コリオランを扱った戯曲家コリンの悲劇に、 感銘を受けたベートーヴェンが1807年に作曲した演奏會用序曲です。 ベートーヴェンは主人公コリオランの性格に、自らに通じるものを見出し、 この序曲を通じて自己表現を試みたといわれています。 ワーグナーは、「偉大な力、不撓の自信と熱狂せる反抗心が、憤怒、憎悪、復讐、 破壊的な精神のうちに臺頭する姿を眼前に髣髴たらしめる」とこの曲を評しました。 エグモント序曲 Op.84 ゲーテの悲劇「エグモント」に感...
生涯に2曲しか殘されていないショパンのピアノ協奏曲のひとつです。 第1番というものの、実際の作曲順ではこちらが第2番。出版順で番號が入れ替わっています。 ショパンが故郷のポーランドを去る20歳の年に完成した作品で、骨太で重厚な曲調が特徴です。 特に第1楽章は「これがショパン?」と思うほどに男性的で力強く、 ドイツの古典派、ロマン派の王道をいくような品位と風格があります。 初演は1830年10月11日、ショパン自らのピアノ演奏により行われました。 このコンサートはウィーンへと旅立つショパンの告別演奏會で、 ショパンの初戀の人である一歳下のソプラノ歌手、コンスタンティア・グラドコフスカが、 白いドレス姿で髪にバラの花を挿して助演したと伝えられています。 彼女はすばらしかったとショパンは書き記していて、最後に彼女から渡されたリボンを ショパンは終生にわたり手元に置いていたということです。 ピアノ協奏曲第1番は「ピアノの詩人」として知られるショパンとしては、 伴奏の管弦楽部分も充実していて、第1楽章でピアノが登場するまで4分もの時間を要しています。 また、ショパン自身の自信作だったようで、その後のコンサートでも度々取り...
「傑作を書きました。これは私の心からの真実と申しましょう。 私は今までにないほどの誇りと喜びと満足を感じています」(出版商ユルゲンソンへの手紙) 「私は今度の交響曲の作曲に全精神を打ち込みました」(コンスタンチン大公への手紙) 交響曲第6番「悲愴」はチャイコフスキーが最後に遺した一大傑作です。 ベートーヴェンなどの古典様式を意識した前作の第5番とは違い、 型にとらわれずに自らの作曲スタイルを自由に羽ばたかせています。 その結果、チャイコフスキーの天才が臨界點を超えて発揮された名作になりました。 交響曲第5番についてチャイコフスキーは「あの曲の中に潛む不自然さが私には気に入りません。 なにか虛飾的な感じがします」と支援者のメック夫人への手紙でもらしていました。 「悲愴」での一転したオリジナリティの爆発は、第5への不満の反動だったのかもしれません。 チャイコフスキーの音楽は多分に感傷的で、それが常に作風を特徴づけていましたが、 「悲愴」の場合は感傷を超えた慟哭、絶望までが感じられ、 作曲家が極限の精神で自らの內奧の心をさらけ出し、明るみにしているのがわかります。 作曲しながら目頭ににじんだ涙で楽譜が見え...
ブラームスは作曲家として常にベートーヴェンを指標としていました。 やるからにはベートーヴェンを越えねばと、作曲に21年もの歳月を費やした交響曲第1番は、 「運命」と同じハ短調で、苦悩から歓喜へと至る同じ構成を持っています。 第4楽章の「第九」を思わせる主題などから、「ベートーヴェンの交響曲第10番」とも呼ばれました。 また、ブラームスの交響曲第2番は牧歌的で自然を思わせる曲調から「ブラームスの田園」と呼ばれ、 男性的なたくましさもある交響曲第3番は「ブラームスの英雄」とも言われることがあります。 つまり、ブラームスの全4つの交響曲のうち、前の3曲はベートーヴェン絡みで語られるわけです。 ですが、最後の第4番ホ短調だけは、そうした関連付けは一切されていません。 ブラームスがベートーヴェンの呪縛を離れて、初めて自己表現を全開にした作品とも言えます。 最終楽章で勝利を高らかに謳いあげた第1番以降、ブラームスの交響曲は後にいく程暗くなっています。 第3番でも後半のふたつの楽章は短調が主體で、第4番ではついに短調で全曲を締めくくっています。 ベートーヴェンは気にせずに、「これが本當の私自身だ」と言わんばかりに、 自分...
交響曲第9番はブルックナーが最後に遺した大作です。 作曲の半ばに亡くなったため、全4楽章の予定が第3楽章までの未完となっています。 しかし、敬愛するシューベルトの「未完成」が2楽章のみで充分に成立しているように、 ブルックナーの第9番も、この後に何も付け足す必要がないほどに音楽として完成しています。 ブルックナーはこの曲を愛する神様に捧げました。 通常、楽曲の獻呈は支援者などの身近な人たちになされるもので、 それを神様に対して行ったのは、おそらくブルックナーが初めてです。 ブルックナーの音楽は不思議で、一般的な音楽のように「聴こう」と身構えると、 つかみどころがなく、何が言いたいのかもわからず肩透かしをくらってしまいます。 音楽は少し進むとそこで途切れ、まったく違うブロックが開始されます、 これが延々と続くので、どうしても聴いていて身が入らないということもあります。 しかし一度「聴こう」という態度をやめ、聴くのではなく音楽に身を浸す感覚になると、 たちまちその魅力に気づき、そこから抜け出せなくなります。 本場オーストリアのファンは、ブルックナーの長大な交響曲が終わると、 またすぐに最初から聞き直したく...
「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれる手紙があります。 これはベートーヴェンが悪化する難聴への絶望と、それでも果たさなければならない芸術家としての 使命感との間で揺れ動く心情を綴ったもので、甥であるカールと弟のヨハンに宛てられています。 『…6年このかた治る見込みのない疾患が私を苦しめているのだ。 物の判斷も出來ない醫者達のために容態はかえって悪化し、症狀は回復するだろう という気休めに欺かれながら1年1年と送るうちに、今ではこの狀態が永続的な 治る見込みのないものだという見通しを抱かざるを得なくなったのだ。 人との社交の愉しみを受け入れる感受性を持ち、物事に熱しやすく、感激しやすい 性質をもって生まれついているにもかかわらず、私は若いうちから人々を避け、 自分ひとりで孤獨のうちに生活を送らざるをえなくなったのだ。 耳が聞こえない悲しみを2倍にも味わわされながら、自分が入っていきたい世界から 押し戻されることがどんなに辛いものであったろうか。 …そのような経験を繰り返すうちに私は殆ど將來に対する希望を失ってしまい 自ら命を絶とうとするばかりのこともあった。』 (http://www.kurumeshiminorchestra....