〜初出~『赤い地獄』(川奈まり子著 2014年9月1日・廣済堂出版)
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駆ける野犬の群れを見たのは、引っ越してきた翌日のことだった。
茶や汚れた白や黒、毛色も大きさも揃わない獣が一〇頭ばかり、目の前で山の斜面を東から西に走り抜けた。名ばかりの春の三月初めのことで、獣たちも野山も寒々としていた。
私は急に心細くなりながら、犬が去って行った方角を眺めた。
つい何日か前まで住んでいた場所に置いてきた、友だちの顔が頭に浮かんだ。誰か一緒なら勇気が出るのだけれど――。
結局、その日は臆病になってしまって、山には登らなかった。
そのかわり、三つ年下の妹の手を引いて、家の裏手の児童公園へ行った。
公園には野犬はいなかったが、植え込みの陰から狸が飛び出してきて、私たちを驚かせた。
そこには狸だけでなく、オナガやヒヨドリといった、それまでは図鑑でしか見たことのなかった野鳥もいた。鳶の声に見上げると、恐ろしく空が広かった。
幼稚園や小学校が春休みの時期だったから、子どもたちも大勢いた。
皆は、野鳥や狸に驚いていないようだった。新参者の私たちは、他の子たちが時々投げてよこす小突くような視線に耐えながら、隅っこの方で大人しく遊び、早々に家に引き揚げた。
――今、当時のあの辺りの風景を想うと、私の少女時代というものがまるごと、夢の中の出来事だったような気がしてくる。
八王子市の片倉台に家族で移り住んだのは、一九七七年、昭和五二年のことだ。
その一、二年前に父が大学の助教授になり、そう遠くないうちに教授になる見込みがついた。テレビアニメの彩色をしていた母の貯えも相当できた。
それで、両親は八王子市のはずれに家を建てることにしたのだ。
父の書斎や庭のある、一戸建ての家。そこへ住めば、自家用車も買えるし、ペットを飼うこともできる。ようすの良い松の木を門の脇に植えて、花壇をこしらえて。そして、私は転校して新しい小学校で四年生になる。妹はこっちの学校でピカピカの一年生になる。
その頃の我が家は、希望の光が満ちている感じで、私を含め家族全員が、これから先は良いことしか起こらないと思い込んでいたふしがある。
それはきっと、私のうちだけのことではなかった。
今、この暗く険しい時代に在って、昭和五〇年代前半頃の、町や大方の家庭の無邪気な明るさを説明するのは難しい。
引っ越してきた八王子は、といえば、新興住宅街が増殖するアメーバのように野山を侵食して広がっていく真っ最中だった。
芝生を植えた庭つきの一戸建てが次々と建てられ、人々はためらいもせず長期のローンを組んで家と土地を買った。新しい町には、新しい駅が置かれ、駅前に大きくて立派なスーパーマーケットがやってきた。
私の家は、そんな生まれたての建売住宅街の外縁に建っていた。
ここが開拓の最前線だった。家の前が山裾なのは、うちが自然と人間界との境い目にあることを意味していた。
山は東西に長く続いていて、西の端は遠く野猿峠(やえんとおげ)まで繋がり、東の端には谷があった――この谷は、今はもう、家並に呑まれてしまって、跡形も無い。
春が深まるにつれ、山にも谷にも緑が溢れた。
私は、おそるおそる山に登ってみたり、谷に下りてみたりして、少しずつ自分の縄張りを広げていった。
一学期が始まってからは、道連れも出来た。同じクラスの女子が三、四人。
初めて道了堂(どうりょうどう)に行ってみたのは、この頃のことだ。
うちの前の山の中に《絹の道》と呼ばれる小径があり、その途中に古いお堂があることは、学校の授業で聞かされていた。
転校してきたこの小学校では、土地の名所旧跡の由来や歴史の授業がやけに多かった。
今にして思えば、新興の町に方々から寄せ集められた生徒たちに、少しでも郷土心を植えつけるべく努めていたのだろうか。
毎週のように社会科見学と称して近隣を見てまわっていたので、道了堂にも、いずれは先生に連れられて行くことになると思われた。
その前に、自分たちだけで行ってみようと思いついたのは、反抗期の前触れだったかもしれない。
言いだしっぺは誰だったろう。
いずれにしても、私は、「うちから、すぐだよ」と、ちょっと自慢気に言ったと思う。皆、似たような新築の一戸建に住み、同じ住宅街の仲間とはいえ、家のまん前が山になっている子は少なかったのだ。
友だちのうちの一人二人は、親の許しが出たら行くと応えた。
「お母さんが、あの山には野犬が棲みついてるから、危ないって言うの」
野犬なら、私は、あれから何度も見かけていた。
犬たちに、遠くから、じっと見つめられたこともあった。
彼らは完全に野性化しているようだった。私の存在に気づいても近寄ってくることはなく、いつもすぐに、灌木の茂みの奥に消えた。
「野犬なんて平気だよ。人間を怖がってるから、皆で行けば近づいてこないよ」
「でも、じゃあ、お化けは?」
友だちが言った。
「知ってる? 道了堂ってね、あそこでお婆さんが殺されたんだよ。それから、お堂のそばの山の中に若い女の人の死体が投げ込まれてたこともあるんだって」
その噂なら知っていた。近所のおばさんが母に話しているのを聞いたのだ。
何十年か前に、道了堂に強盗が押し入り、堂守の老女を殺すという事件があったそうだ。
おまけに、それからまた一〇年ほど後に、今度は、妻子ある男が殺した愛人の骸を付近に棄てたということだった。
――二度も悪いことが起きるなんて普通じゃない。道了堂は祟られている。
そんな話が、伝染病のように、数少ない古い住民たちから新規の住民たちへと、急速に広まりつつあった。
「昼間なら、平気だよ」と、皆があまり怖くならないうちに、私は急いで言った。
子どもたちだけで道了堂へ行くのは、とても良いアイデアに思えた。すぐにも実現させたかった。
「私、道了堂は行ったことないけど、山のもっと手前の方ならしょっちゅう入って遊んでるし、絹の道まで道案内もできるよ。野苺が生えてるところを、教えてあげる」
山がどんなに面白いところであるか、私は熱弁をふるった。
実際、明るい日中の野山は陽気な雰囲気で、食べられる野生の果実があるだけでなく、蝶が飛び交い、コジュケイの親子が列になって歩いていたりする景色は、見ているだけも楽しいものだった。
元・都会っ子は、私だけではなかった。山の生き物の話をすると、皆が興味を持った。
一度、通いはじめると、道了堂は皆の楽しい遊び場になった。
当時は、山の裏手から長い階段を登って絹の道に出るのが、市役所で配っている観光ガイドブックにも載っている正規のルートだった。後に小学校の社会科見学で行ったときにも、そのようにした。
しかし私たちは、いつかの野犬の群れと同じように、草を踏み、木々の間を縫っていった。
そのほうが面白かったし、うちから行くには近道だったのだ。
お昼間の道了堂には、少しも怖い雰囲気は無かった。
苔むした石の階段を下から見あげると、角の磨り減った段々の上に、空がゆったりと広がっていて、階段の上の境内も開放的な雰囲気だった。
境内の奥にある朽ちかけた堂宇は、いつも雨戸が開いていて、中に入ることが出来た。
入るときは靴を脱がなかった。舞い込んだ木の葉が床のあちこちに吹きだまりを作っているようなありさまだったからだ。柱は白蟻に喰われた跡だらけだった。
私たちは、缶蹴りやゴム飛び、「だるまさんが転んだ」をして遊び、ロウセキで石畳に落書きをした。お堂に上がり込んで、持ってきたオヤツを食べたりもした。
幽霊だの祟りだのといった暗い噂は、ほどなく忘れた。首がもげた地蔵や鬼子母神像も、陽射しのもとで見るぶんにはちっとも恐ろしくなかったし、たちまち見慣れた。
私は、隣家の少年とも、五月あたりから度々、道了堂を訪れるようになった。
母親同士が先に仲良くなり、時々、週末に、どちらの家に集まって二家族一緒に昼食会を開いたりするようになった。そのうち、お互い気が合うことがわかったのだ。
隣のうちの男の子は、昆虫が好きで、一学年下だったが物識りだった。
アリジゴクの釣り方を教えてくれたのは彼だ。
よく釣れる所を知っているというのでついて行ったら、道了堂だった。
道了堂の、お堂の下に、私たちは潜り込んだ。そこは一面、砂岩が崩れて出来たようなサラサラ乾いた砂っぽい土に覆われていて、よく見ると、すり鉢状の巣が幾つもあった。
捕まえた蟻に木綿糸を付けて、そっと巣に置くと、アリジゴクの恐ろしげな顎が砂の中から現われて蟻に喰いつく。タイミングよく糸を引き、うまく釣れると、とても嬉しかった。
やがて、私が谷でヤマカガシの仔を捕まえて、それを隣の子が水槽で飼いはじめたところ、アリジゴク釣りは、さらに面白くなった。
ヤマカガシという蛇は、仔のうちは、赤や黒や黄の冴えた柄に全身を彩られており、とても美しいものだ。
母親たちには気味悪がられたが、彼と私は仔蛇を可愛がり、生き餌しか食べないことがわかると、雨蛙やコオロギを捕まえてきては食べさせた。
そういうわけで、道了堂で獲ってきたアリジゴクも、餌として与えるようになったのだ。
息を呑んで見つめる私たちの前で、仔蛇は艶やかな錦模様の身体をくねらせながら、三センチ近くある大物のアリジゴクをまるのみにした。
「喜んでるね」
「また釣ってこよう」
来る日も来る日も、私たちはアリジゴクを釣りに行き、仔蛇に食べさせた。
当時、雨蛙やコオロギはどこにでもたくさんいて、容易に捕まえられた。それにひきかえアリジゴクは獲るのが難しく、だからこそ何匹も釣れたときの達成感も大きかった。
苦労こそ、狩りの醍醐味なのだった。
アリジゴクだけで仔蛇を養えたら凄い、と、私たちは鼻息を荒くし、躍起になった。
夢中になると時を忘れる。お堂の縁の下に腹這いになって巣に糸を垂らしているうちに、二、三時間経ってしまうことなどざらだった。
そんなとき、頭の上でミシリと板が鳴ることがあった。
けれど、見ても、縁側にもお堂の中にも誰もいない。
そういうことは、よくあった。
アリジゴク釣りは、仔蛇に私が指を噛まれるまで続いた。
ヤマカガシには弱い毒がある。噛まれた人差し指の先はひどく腫れて熱を持ち、なかなか治らなかった。隣家の少年は、私に黙って仔蛇を山に逃がした。
仔蛇がいなくなると、ちょうど梅雨に入ったこともあって、アリジゴク釣りにも行かなくなってしまった。
一学期の終わりごろに、学校のクラスで、ちょっとした騒動があった。
社会科見学で道了堂に行ったときに撮った記念写真に、いるはずのない子が写っていたのだ。
気づかずに先生が廊下の掲示板に貼り出し、誰かがそれを見つけて悲鳴をあげたものだから、皆が知るところとなった。
次の休み時間にはやんちゃな男子がふざけて、写真の上に「恐怖の心霊写真!」と書いた紙を貼った上で、問題の怪しい子どもの顔のそばに「こいつは誰だ?」などと矢印付きの落書きをした。
昼休みになると、大勢が写真の前に群がった。
私も見た――絹の道から境内に上がる階段に並んだ私の学級一同の、最後列の一番端に知らない少年がいた。
少しぼやけているが、肌の色もおおまかな目鼻立ちもわかる。微笑んでいるようだった。
掲示板の悪戯は、その日のうちに先生に見つかってしまった。
「こんなことを、するもんじゃない」
皆を叱りながら、先生は剥がした写真を出席帳の間に挟んだ。
「……近くの別の学校の子が、たまたま居合わせたんだろう」
誰もいませんでした、と、教室のどこかから声があがり、皆が口ぐちに同意した。
「そうだよね」「うん。私たちだけでした」「それは本物の心霊写真だと思います」「道了堂には幽霊が出るって、皆、知ってます」
すると、先生は、それまで見たことのない強張った表情で首を横に振った。
「噂で言われていることは半分はデマだから、鵜呑みにしないこと。それに、もしも本当に幽霊がいて、写真に写っていたら、絶対に悪戯描きなんてしちゃ駄目だ。これからは気をつけるように」
すかさず、「なんでですか?」と質問が飛んだ。すると先生は、ますます顔をひきつらせて、出席帳にチラと目を落とした。
「幽霊を怒らせるかもしれないから」
そのとき、私は咄嗟に、出席帳に挟まれた写真の中で幽霊の子が怒った顔になっているのではないかと想像した。
――悪戯をしてはいけなかったんだ。あれが本物の心霊写真だということは、実は先生にもわかってるんだ。
先生は何を見てしまったのだろう、と、怖くなった。
「亡くなった人が幽霊になったわけだから、面白おかしく騒いでいいことじゃないよ。お葬式のときは、皆も静粛にするだろう? 死んだ人の魂は敬わなければいけないものなんだ。わかったね?」
はあい、と、皆で返事をした。
夏休みになった。八王子に引っ越してきて初めて迎える夏だ。
道了堂の夏は素晴らしかった。深い木々に囲まれた境内に、蝉の声が降りそそぐ。木漏れ日が眩しい前庭では、クワガタがいくらでも獲れた。陽射しが肌に噛みついてくるような猛暑の日でも、お堂の中はなぜか涼しく、心地良く乾いた風が絶えず吹き抜けていた。
私のうちは両親とも実家が都内にあるので、お盆の帰省というものをしない。七月のお終いの数日間、父の大学の寮がある千葉県の鵜原(うばら)海岸へ旅行をし、あとはずっとうちにいる習慣だった。
ちょうど盆の入りの頃のことだ。
家で宿題をするだけの日々に飽きた私は、学校の友だちに電話をかけ、同じ境遇の子を探して、うちに呼び寄せた。
三人ほど、いつもの面子が集まった。私を入れて四人だ。
「道了堂に行かない?」と、言いだしたのは私だったかもしれない。
アリジゴク釣りをやめてから久しく、そろそろまた行きたくなってきたところだった。
反対する者はなく、皆で暑い中を歩いていった。よく晴れた日の昼下がりで、絹の道には蜃気楼がゆらめいていた。境内に登る階段の上に見える空は、明るすぎて、真っ白に光っていた。
私たちが階段を登りかけたとき、その眩い空に、黒い影が二つ並んで現れた。
――子どもだ。私たちと同い年ぐらいの女の子と、その弟と思われる男の子の二人づれが、こちらを見下ろしている。
そこにずっといられたら邪魔だな、と思ったら、途端に、サッと二つの影は引っ込んだ。
階段を登り切ると、燦々と陽を浴びて、二人は私たちを待っていた。
知らない子たちだった。女の子は、私たちと似たような背格好だが、学校で見かけたことのない顔だ。肩につかない程度に切り揃えた髪は艶やかで、卵形の顔は血色が良かった。
男の子は、女の子の陰に半分隠れている。こちらはまだ五、六歳のようだ。
私たちは顔を見合わせた。
「違う学校の子かな?」
「お盆だもん。遠い所から、お爺ちゃんやお婆ちゃんのうちに来てるのかもよ」
絹の道の先に、鄙びた農家の集落があり、先の社会科見学のルートには、そこの桑畑や果樹園なども入っていた。その辺りは高齢化が進んでいるらしく、見学のときはお年寄りしか見かけなかったが、今の時期なら、子どもらが孫を連れて帰ってきているのではあるまいか。
「それとも隣の小学校の子?」
「どっちだっていいよ。……まだこっち見てるよ」
「一緒に遊びたいんじゃないの?」
誰だったろう? 「ねえ、一緒に遊ぶ?」と彼らに声を掛けたのは。
いずれにせよ、ごく軽い気持ちだったはずだ。誰しも、知らない子に声を掛けることに慣れていた。私だけではない。あの頃の、私の学校の子たちは皆そうだった。
なにしろ、千人を超えるマンモス校の生徒の大半が、この春に来た転校生、つまり、このあいだまで知らない者同士だったのだから。
問い掛けに応えて、女の子がうなずいた。
六人で、隠れ鬼をした。
かくれんぼと違う点は、鬼は、隠れている子を見つけただけでは駄目で、手で触らなければならないところだった。
鬼に触られた子も鬼になる。
お終いには、一人を残して全員が鬼になる。
最後の一人も鬼になったところで仕切り直す。最初に鬼に触られた子だけが鬼になり、目を瞑って百まで数え、その間に皆はどこかに隠れる――この繰り返しだ。
幼児がするようなたわいもない遊びだ。男の子の年齢に合わせたつもりだったが、やりはじめると意外に面白く、皆すぐに夢中になった。
と、言うのも、道了堂には隠れる場所が多く、鬼に見つかっても、うまく逃げれば、再び隠れることが出来たから。また、暫くして鬼の数が増えてくると、まだ触られていないのに鬼のふりをしても、すぐにはばれなかった。騙すのも騙されるのも可笑しくて、皆、お腹の皮がよじれるほど笑った。
二度ばかり仕切り直した。そのとき私は縁の下に隠れていたのだが、やがて見つかってしまい、そこを飛び出して林の中に逃げようとしたところで鬼に追いつかれた。
「あの子たちは?」
息を切らして、鬼に訊ねた。
「見つからない」
「逃げるの上手いね」
「さっきも最後まで見つからなかったよ」
「うそ」
「ほんと。もしかして、黙って帰っちゃったのかもしれない」
それはひどい、と、憤慨しかかったとき、件の女の子と男の子がお堂の中に入っていくところが見えた。
「あっ、いた! 見ぃつけた!」
二人は悲鳴をあげて、笑いながら逃げはじめた。床を鳴らしてお堂の奥へ駆け込み、奥にあった引き戸を開けて飛び込んだ。
私の目の前で、ぴしゃりと引き戸が閉まった。
すぐさま飛びついて開けた。中に首を突っ込んで見回す。
――誰もいなかった。
納戸のようで、どこにも抜けられない。奥行きも押し入れほどだ。窓も無い。
ここに入ったと思った。見間違いだったはずがない。
釈然としない気持ちで、引き戸に突っ込んでいた顔を外に出すと、ちょうど一緒に来た友だち三人が縁側から入ってきた。
「どうしたの?」
「あの子たちが、ここに入ったように見えたんだけど……」
三人は、ヘンな顔をした。そして、私が独りでお堂に入っていったように見えたと口ぐちに言った。
暑くて体じゅう汗まみれだったにも拘わらず、ぞくりと背筋が冷えた。
ところが、そのとき、例の二人がひょっこりと縁側に現れた。「どうしたの?」と女の子が口を開いた。男の子もキョトンとしている。
「どこにいたの?」
女の子はうっすらと笑った。
「ずっとここにいたよ」
「このお堂に?」と訊ねると、曖昧な感じにうなずいた。
信じられなかった。
屋根裏か床下にでも逃げない限り、隠れられる場所など、そうそうない。……中に入ると見せかけて、縁の下に潜ったのか。それぐらいしか、考えられない。
無理矢理、自分を納得させたが、寒気が背中に張りついたまま取れなかった。
隠れ鬼を再開した。
私はさっきの納戸のようなところへ隠れた。
中から引き戸を閉めると、建付けが悪くなっていて、いい具合に隙間が出来た。床に体育座りをして、隙間から外のようすを伺いながら、じっとしていた。
――ふと、あの二人の名前をまだ聞いていないことに気がついた。
私が知らないだけで、他の子たちはもう教えてもらっているのかもしれない。それにしたって、どこから来たのかも聞いていないのは、奇妙なことだ。
そういうことは普通、訊ねられなくても、自分から喋ったりするものだ。
ほの暗い空間に閉じ籠って、そんなことを考えているうちに、自分の横にある空隙が怖くなってきた。
あの二人が、そこに座っているような気がしてきたのだ。
私と同じように体育座りをして。
息を殺して。
こちらを見ていたら、どうしよう。
――そんなことを想像したら、堪えられないほど恐ろしくなり、たまらず外へ飛び出してしまった。
その瞬間、
「見ぃつけた」
あの女の子の声で、納戸の中から呼ばれた。
無我夢中で、お堂の外へまろび出る。
と、それと同時に、すぐ後ろで、雷でも落ちたかというような音が鳴った。
吃驚して振り向くと、友だちが一人、床板を踏み抜いて泣いていた。
私たちは、うちに帰ることにした。
山を降りる間中、誰も「あの子たち」について口にしなかった。
床を踏み抜いた子は、ギザギザに割れた板で脛に切り傷をこしらえ、ずっとべそをかいていた。私の家で傷の手当てをすることを勧めたが、早く自分の家に帰りたいからと断られた。
無理に引き留めようとはしなかった。皆、安心できる場所へ、今すぐ戻りたいと思っているに決まっていた。私と同じように。
眼下に私のうちが見えてきたあたりで、野犬の群れに遭遇した。
東の谷から上がってきたところのようだった。七、八頭が一列になって、こちらへ向かってくる。
先頭の犬と目が合ってしまった。秋田犬のような巨躯を持つ、鉄錆色の犬だった。頭を下げると、荒い毛並みの下で肩の筋肉がぐりぐりと蠢いた。
犬は低く唸った。
私は竦んで動けなくなった。三人の友だちもその場に凍りついた。
――固まっている私たちの横を、犬たちは悠々と通り過ぎた。
その後ほどなくして、保健所が大規模な野犬狩りを行った。山の向こうの養鶏場で被害が出たり、人が襲われて怪我をしたりして、問題になったのだ。
最後の一頭は、日曜の昼間に、私のうちの庭で御用となった。ちょっとした大捕物だった。山から追われて、庭に逃げ込んだところを三人がかりで捕まえられたのだ。
初めのうち、犬は抵抗して暴れていたが、口輪を掛けられ、寄ってたかって棒で取り押さえられると、大人しくなった。
一部始終を、私たちは窓の中から見ていた。父だけが庭に出て、保健所の人と話をした。母は花壇が踏み荒らされたことを嘆いていた。
それまでは毎晩、山からヨタカの叫びと犬の遠吠えの合唱が聞こえてきていたのが、その夜から、ヨタカの声だけになった。
私は次第に山から足が遠のいた。あの日から、学校の友だちとは一度も道了堂に行っていないし、隣家の少年とも遊ばなくなってきた。急にませてきたのである。虫獲りや探検ごっこを子どもっぽく感じはじめ、そんなことより、本を読んだり女同士でおしゃべりに興じているほうが心に沿うようになってきた。
ところが、中学校へ上がる前の春休み、叔母夫婦が従妹弟を連れてうちに遊びに来て、久しぶりに道了堂へ行くことになった。
従弟たちは、まだ探検が楽しい年頃で、うちの両親から道了堂の話を聞くと行きたがったのだ。隠れ鬼の怖い想い出もだいぶ薄らいでおり、私は快く案内役を引き受けた。
道了堂に着くまでは良かった。東の谷で工事が始まり、この一帯の獣はだいぶ少なくなったと聞いていたが、山の空気は澄んでいた。傾斜路を登るうち、体も温まった。
しかし、ますます朽ちて崩れそうになっているお堂の中を覗き込んで、私は来たことを後悔した。
一対の雛人形がひっそりと、お堂の床の真ん中に置かれ、白い胡粉の顔が冴え冴えと陽射しを照り返していたのだ。
私はたちまち「あの二人」の姿を雛人形に重ね合わせて戦慄した。
ぼんぼりどころか敷物すらなく、男雛と女雛だけがじかに床に置かれている。誰が、いったい何故、こんなところに置いたのか――。
そのとき、やんちゃな従弟が、止める間もなく歓声をあげてお堂の中に飛び込み、腐った床板を踏み破った。
まったく、あのときと同じだった。
脛から血を流して泣く従弟をなだめながら引き揚げることにして、視線を感じて振り向くと、雛人形がこちらを向いていた。
――初めからこっち向きに置かれていただろうか。
少し向きを変えて、私を見送ろうとしているのではあるまいか。
私が憶えていたように、彼らもまた、私のことを憶えていたのだとしたら。
きっと、来るべきではなかったのだ。
心の中で繰り返し繰り返し、「さようなら」と彼らに告げながら、山を下りた。
それから三〇年以上も経って、たまたま手に取った外薗昌也(ほかぞの まさや)先生の『黒異本』という著作で、外薗先生ご自身が道了堂へ行かれたときのエピソードを知った。
道了堂で、外薗先生は、子どもたちの声を聞いたという。声は聞こえど姿は見えずといった、不可思議な体験をされたそうだ。
また、そこには、愛人の遺体を道了堂付近に棄てたとされる容疑者が妻子を道連れに一家心中したという、それまで私が知らなかったことも書かれていた。
彼らは地元の住民だったので、生前、子どもたちを道了堂に連れてきて遊んだことがあるのではないか――先生は最後にそう推理されていた。
これを読んで、思わず私は担当編集者の佐藤さんに電話を掛けた。
偶然とは凄いもので、佐藤さんは外薗先生の『黒異本』も担当していたのである。
「道了堂の幽霊譚は色々ありますが、子どものことを書いたものを読んだのは初めてです。だから私、外薗先生の話は本物だと思いました。実は私は……」
そして、「あの二人」について一息に話したところ、佐藤さんの仲介で外薗先生と会食する機会を得た。
その席で、先生がおっしゃったことが忘れられない。
「道了堂で、僕は、子どもが大勢で楽しそうに遊んでいるような声を聞いたんですよ。あれは、川奈さんたちがその不思議な子たちと遊んでいたときの声が、時空を超えて伝わってきたものでしょうか」
――土地が想い出を蓄えるのだろうか。そして、ふいに、過去を再現してみせるのか。
私には、今でもあそこには、あの子たちが隠れているように思われてならない。