〜初出~『赤い地獄』(川奈まり子著 2014年9月1日・廣済堂出版)
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田中くんは、私の同級生だ。
田中くんの小学校の頃を憶えている。四年生と五年生のとき、同じクラスになった。小柄で細くて、色が浅黒い、大人しい子だった。
大人しいといっても、極端に不活発であるとか内向的だとか、そういうことはなくて、性格が穏やかでお行儀が良いため、大人しそうに見える、躾の行き届いた男の子だった。
そういう子にはありがちなことだが、独りっ子で、専業主婦のお母さんも、大企業の出世コースに乗っていると噂されていたお父さんも、教育熱心かつ善良な人たちなのだった。
そんな家族が、昭和五〇年代のその頃、私が住んでいた八王子の新興住宅街には多かった。
道に外れたことは生まれてこの方一つもしたことのない善い人たちが営む、とりたてて裕福でもなく貧しくもない家庭。
後に、彼らの何割か――もしかすると半数近くが――中流層から脱落した。しかし当時は、それが私が暮らす町のスタンダードだった。
田中家もその中の一つで、ようするに「普通」だった。
私の家含め周囲のどの家とも大差ない、庭つきの木造二階建て。
家の二階に小さなバルコニーがあり、晴れた日にはそこに洗濯物がはためいていた。手入れのいい花壇と植木があり、窓ガラスはいつもよく磨かれていた。
庭の隅々まで手入れと掃除が行き届いていたのは、念願の一戸建てを買って間もなかったからかもしれない。うちもそうだったし、学校の友だちのうちも大半がそうだったから、そう思うのだが。希望と喜びが形になったような家だった。
田中家に異変があったのは、私たちが中学校に上がる直前のことだった。
六年生のときはクラスが違ったので詳しくは知らないが、田中くんは冬からずっと学校を休み、欠席したまま卒業したということだった。
私たちは地元の公立中学校で、再会するはずだった。
ところが、田中くんは中学の入学式に来なかった。
春休み中に亡くなってしまっていたのだ。白血病だったという。
式の後に、私たちはそのことを中学校の先生から聞かされて初めて知った。
誰もお通夜にもお葬式にも呼ばれていなかった。いちばん仲が良かった男子のグループでさえ。
子ども心にも、これは奇妙なことに思われた。同級生のお父さんが亡くなったときですら、クラス全員がお通夜に呼ばれたのだから。
しかし暫くして、田中くんのお母さんが独り息子の死に大変なショックを受けて、精神的に少しおかしくなっているという噂が広まった。
それで、葬式などに誰も呼ばれなかったのは、そのせいだろうということにされた。
また、同級生の母親同士の集まりでは、「田中さんは、亡くなった息子さんと同じ年ごろの子どもたちを見たくなかったんでしょう」と囁かれ、だから内輪で葬儀を済ませたのだと皆で推測し合ったということだった。
どちらも、ありそうな話だった。
けれども、私たち小学校の元同級生は、いまひとつ何かし残しているような感じがしてならなかった。
死にゆく田中くんを、病院にお見舞いに行った者もなかったのだ。そんな重い病気だったことも、誰も知らなかった。
私たちの実感としては、田中くんは学校をずっと欠席しているだけだった。
元気な田中くんが、ある日、学校を休み、そのままになっている。
亡くなったのだ、と言われても、はいそうですか、と、すぐに納得がいくものではない。
そこで、さっそく何人か連れだって、田中くんの家の前を通ってみた。
田中家は二階の雨戸を立てて、シンと静まりかえっていた。
花壇が荒れ果てて、乾いた土が見えていた。庭を囲むフェンスは埃をかぶっていた。誰もいないのだろうか。
――と、思った途端、一階の窓のカーテンが揺れた。
私たちはバツが悪くなり、こそこそと退散した。
大人たちの言うとおり、田中くんのお母さんが息子と同じ年ごろの子どもたちを目にしたくないと望んでいたとしたら、田中くんの家は悪い場所に建っていた。
家の前の道が、中学校の通学路に指定されていたのだ。
おまけに、通っていた小学校も、風向きによっては校庭で遊ぶ子どもらの歓声が聞こえるぐらいに近かった。
その翌朝から、登下校中に田中くんを見たという男子が相次いで現れはじめた。
田中くんの家から中学校までは、だいたい二〇分の道のりだ。
そこを、亡くなったはずの田中くんが真新しい中学の制服を着て、歩いていたというのだった。
「俺も見た」「おはようって言ったら返事した」「死んだっていうのを、てっきり忘れて、声かけちゃったよ」
そのうち、女子にも、田中くんを見た子が何人か出てきた。
私自身も、田中くんの家に入ってゆく少年の姿を見た。
不思議とそれは怖いものではなかった。学校からの帰り道のことで、夕方の住宅街を歩く小柄な後ろ姿には、長い影すらあったような気がする。
本当は、生きてたんじゃないか。
そう思いかけたとき、それは当たり前のように家のドアに向かっていった。
――田中くんがノブに手を触れないうちに、ドアが開いた。
「ただいま」
「おかえり」
ああ、お母さんが開けたんだな。声を聞いてそう思った途端、ドアが閉まった。
「田中くんって、死んだんだよね?」「そうだよ。六年のとき同じ組だった男子が何人か、こないだ田中くんちに御焼香に行ったらしいよ。お父さんに挨拶したって」「お母さんは留守だったって」
家まで行って、田中くんがもういないことを確かめずにはいられなかった子は、私だけではないはずだ。
それでも、日にち薬が効いてきて、田中くんを見たと言う子はだんだんと減り、やがて一人もいなくなった。
このまま何事もなければ、私たちは田中くんのことを忘れていっただろう。
けれども、そんな矢先、田中くんちのお母さんが自殺した。
この「普通」で「善い」家庭ばかりの平和な町では、自殺はありうべからざる大事件だった。
噂は野火のように広がった。
「息子さんを溺愛してたから」「立ち直れなかったのね」「息子さんを亡くしてからずっと、ようすが変だったとか……」
田中くんのお母さんは、家で首を吊ったという。
さらに、それから間もなく、今度は田中くんのお父さんが失踪してしまった。
これもすぐに、この辺りでは知らない者がないようなことになった。
「行方不明なんですって。警察が近所に話を訊きに来たそうよ」
――田中くんの家は、田中くんが亡くなってから一年足らずのうちに無人になってしまった。
親戚の家族が引っ越してくるという話もあったけれど、それも立ち消えた。
田中くんの家は、なぜか売られも潰されもせず、空家のまま、何年も何年も放置されることになった。
田中くんの家が「幽霊屋敷になった」という噂を耳にしたのは、誰も住まなくなって四年もした頃だった。
私は高校生になっていた。
たまたま、中学校の同級生と八王子駅前のバス停で偶然遭って、バスを待つ間と車中で、話をしたのだ。
「そういえばさ、田中くんって、憶えてる? あの、誰もいなくなった家の」
その名前を耳にするのは久しぶりだった。
なぜかまっさきに、田中くんと彼のお母さんの声を思い出した――「ただいま」「おかえり」。
都心の私立高校に通うようになって通学路が変わったことから、私は田中くんの家の近くを通ることもなくなっていた。
「あそこ、まだあのままなの?」
訊ねると、同級生は私の興味を惹くために、ちょっとオーバーに怖そうな顔をしてみせた。
「うん。まだ空家。それでね……幽霊も、今でも出るんだって!」
「幽霊?」
「そう。憶えてる? 登下校中に田中くんを見たとか、家におばさんの霊が出たとか、夜中に啜り泣く声がするとか」
噂話は、私の知らないうちに少し進化していたようだった。
「不良が肝試しで庭に入ったりして、近所の人たちは迷惑してるみたい」
「いつまで空家にしておくんだろう?」
このところ不動産の値段が鰻のぼりだと、新聞を読みながら父が話していた。赤坂にマンションを買った叔父を、たいしたものだと母が褒めていた。祖父の遺した土地を売れだの売らないだので、仲たがいしている親戚もいた。
「もったいないよね」
「でも、あそこのお父さん、いなくなっちゃったじゃん。行方不明になってから七年は、死んだってことに出来ないんでしょう? だから、まだ手をつけられないんじゃないかって、うちの親が話してた」
「お父さんも、死んじゃったのかな?」
「それは、わからないけど。それで、どんな幽霊かというと……」
私は、田中くんのお父さんも亡くなっているような気がしてならなかった。
その翌日か翌々日、その頃家で飼いはじめた犬の散歩を任されたついでに、田中くんの家の前へ行ってみた。
門扉に頑丈そうな錠が取り付けられていることに、すぐに気づいた。肝試しの不良に入られないように、親戚の人が付けたのだろうか。
何もない四角い空間と化した庭を、赤錆だらけのフェンスが取り囲んでいた。玄関ドアにベニヤ板が打ちつけてあるのが見えた。表札は「田中」のままで、雨戸がすべて閉まっていて窓の中は見えない。
私はバスで友だちから聞いた話を思い出した。
「時々、楽しそうな話し声が聞こえるらしいよ」「田中くんが元気だった頃みたいに、笑い声や何かがするんだって」
この荒廃した景色から「楽しそうな話し声」などを想像するのは難しかった。
――空家からは、物音ひとつ聞こえてこない。
突然、飼い犬が無人の家に向かって吠えた。
「何かいるの?」
野良猫か狸が入り込んでいるのかもしれない。私は、そう無理にでも思おうとした。
なかなか犬は鳴きやまなかった。
犬の声に呼応するかのように、家の内側で何者たちかの気配が濃厚になってゆくような気がしてきて、私は急いでその場を離れた。
それから一〇年も経って、違う街のケーキ屋でアルバイトをしていた頃に、近くの店で突然亡くなったパートタイマーさんが死後も毎日出勤してきて、何人もの人がその姿を目撃するということが起きた。
私は、田中くんを思い浮かべずにはいられなかった。
――たぶん、そういうことは、たまにあるのだ。
件のパートタイマーさんの仕事仲間で、彼女ととりわけ仲の良かった人が、それからまもなく亡くなってしまい、「死んだ人に呼ばれたのだ」と噂になった。
田中くんの両親も、呼ばれたのだろう。
呼ばれて逝くのは、ときには取り残される孤独よりも幸せなことに違いない。
この連載は、週一回更新してまいります。次回をお楽しみに。