【劇場のサヨコ】

川奈まり子
「オトキジ」怪談連載October 01, 2020

作・川奈まり子

〜初出~『第三七夜 劇場のサヨコ』(川奈まり子の実話系怪談コラム 2016年3月30日・ニュースサイトしらべぇ)

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 二〇一五年のお盆の頃に、拙著『赤い靴』が舞台化され、演劇『あかいくつ。』として阿佐ヶ谷の小劇場で上演された。

 私と『赤い靴』の担当編集者は四日間の上演期間中、毎日、会場に足を運び、閉演後には毎度、出入り口の真ん前にセットした物販コーナーに座り、サインに対応した。

 私の担当編集者は佐藤さんという女性で、彼女は二十代の頃、この小劇場で働いていたとのこと。

 公演が決定するとすぐ、佐藤さんは私にこんなことを話した。


「あそこにはサヨコさんという若い女性のオバケが棲んでるんですよ」


 面白い偶然もあるものだと思った。

 私が書いた『赤い靴』は残酷な殺害描写や心霊現象、狂気などを織り込んだホラー小説で、当然のことながらお芝居の方にも幽霊が登場し血のりが使われる。

 それをたまたま怪談話のある劇場で上演することになり、そのうえ佐藤さんがそこで働いていたことがあるという。

 しかも開幕は盆の入り日だった。これは怖い話に涼を求める人々の来場を当て込んだ主催側の思惑のせいだろうから偶然とは呼べない。しかし、同じプロデューサーが手掛けた前作は外薗昌也先生の実話怪談を原作としたお芝居で、その会場で怪奇現象が頻発したことを、私と佐藤さんは外薗先生から聞いて知っていた。

――これは、何か起こりそうだ。

 私は大いに期待した。


 佐藤さんによると、サヨコさんは気に入らない劇団が来ると舞台にネジを落としたり、他にも何かと小さな悪戯をしたりするので、知っている人は知っており、東京の小劇団界隈ではそこそこ有名なオバケなのだという。

 私がネット検索して確認してみたところ、たしかに、「サヨコさん」という名前こそヒットしなかったが、件の小劇場の名前とそこにまつわる怪談めいたエピソードはいくつか発見できた。

 たとえばこんな話だ。

 トイレに誰か入ったのを見て、皆でトイレ待ちをしていたが、なかなか出てこない。しびれを切らして、誰が入ったのか犯人捜しをしてみたら、全員がその場に揃っている。

 入るところを確かに見たと大勢が思っていたのに、結局、トイレには誰も入っていなかったのだ。

 あるいは、公演中に原因不明の音響トラブルに見舞われる。

 またあるいは、急に照明が消えて慌てていると、本格的な大騒ぎになる前に、元通り点灯する。

 他には、公演直前の舞台稽古中、そこにいる頭数の分だけ弁当を買ってきて配ってみたら、ひとつ余ったといった話も見られた。

 これなどは「一〇人しかいないはずが頭数を数えると一一人いた」といった怪談小噺の典型で、特にこの手のは「座敷童子」系の話に多い。

 時折、子供の悪戯めいた悪さをするところも座敷童子を思わせた。

 また、稽古や準備の最中に怪奇現象が起きた芝居は成功するとも言われていて、守り神的な性質を備えているようでもあり、そんなところも座敷童子らしい。

 ネットではオバケの目撃談も散見できたが、佐藤さんは一度も見たことがないと言った。

「舞台に泊まり込んだこともありましたが、何にも起きませんでしたね」


 それを聞いて私は、昔、父と二人で座敷童子が出るという旅館にわざわざ泊まりに行ったときのことを思い出した。

 丑三つ時に枕もとでゴソゴソ物音がしたので、いよいよ現れたかと勢いよく飛び起きたら、結局、父が起きて書き物をしていただけだったのだ。

 伝説に出遭うのは難しいものだと思う。

 しかし、私と佐藤さんは、サヨコさんを見られないかしら、ぜひ見たいものだなどと会話して、舞台の開催を心待ちにした。

 やがて、いよいよ初日の幕が開けた。

 開場の時刻になると、私たちは出入り口に近い観客席の上段の隅に並んで腰かけた。

 閉演直前に抜け出して物販コーナーに行くためにその場所を選んだのだが、座ってみたら、客席のほぼ全体を俯瞰できることに気がついた。

 やがて開演。お芝居はだいぶ脚色されていたが、それはそれでとても面白く、お客さんたちの反応も上々で、私自身も楽しめた。

 お芝居が終わり、出演者さんたちが舞台上で挨拶をしはじめたあたりで、私と佐藤さんは会場を抜け出した。物販コーナーの準備は開演前に整えておいたから、あとは会場から出てくるお客さんたちを待てばよい。

 物販コーナーといっても細長い机の上に品物を並べて、その後ろに椅子を二つ並べただけの簡単なものだ。

 私は会場の出入り口を見つめて待機した。一般客の出入り口は一ヶ所しかないから、私たちの前を通らずに帰ることは誰にも出来ないのだった。


 さて、初日は何事もなく終わった。二日目も三日目も、サヨコさんは現れなかった。

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 そして四日目、千秋楽の夜を迎えた。

 これでお終いだと思うと感慨深く、私と佐藤さんはいつもより少し早く会場に入り、観客席の例の位置に着いて、お客さんたちを待った。

 間もなく開場して、出入り口が開き、次第に座席が埋まりだした。

 そのうち、二人目か三人目、もしかするともう少し後かもしれないが、かなり早いうちに入ってきた観客のうちのひとりが真っ赤な袖なしのワンピースを着ていて、目を惹きつけられた。

 ほっそりした若い女性である。艶のある黒髪を肩甲骨のあたりまで伸ばして、姿勢が良い。

 顔は見えなかったが、おそらく美人なのだろう。身体のラインが現れるデザインで、燃え立つような赤一色のワンピースだ。よほど、自分の容姿に自信があるのでは……。

 芸能人かな、と思った。

『あかいくつ。』の主演と準主演の女優さんたちはアイドル・グループの元メンバーで、初日からこの日までに、アイドル時代の仲間が何度か観に来ていた。

 それが皆揃って、そんじょそこいらでは見られない美貌の持ち主ばかりだったのだ。

 流石にプロは違うと感心していた。ああいう女の子が、また来てくれたのかもしれない。

 たぶん、『あかい…』というタイトルに引っ掛けて、わざわざ赤い衣装を選んで着てきたのだろう。

 ふと気づくと、佐藤さんも彼女に注目していた。

 赤いワンピースの女性は、私たちがいる側とは反対側の端の、前から三列目あたりに腰を下ろした。

 色白の肩から二の腕と綺麗な髪の毛しか見えないが、きちんと背筋を伸ばして座っている。この姿の良さはやっぱり素人のものではない、と私はひそかに考えた。

 お芝居が始まると一時彼女の存在を忘れたけれど、終わると再び思い出し、物販コーナーに行く前に、その姿を探さずにはいられなかった。

 この日は、私たちもお終いまで出演者の挨拶を聴いた。従って、もう客席はだいぶざわついていたから、急がなければならなかった。

 しかし真っ赤なワンピースはよく目立ち、すぐに彼女を見つけることができた。

 最後に見たとき、彼女はまだ客席に座って、誰もいなくなった舞台の方を眺めていた。


 その後、私と佐藤さんは、物販コーナーに座って、お客さんたちを出迎えた。

 会場から次々に人が出てきては前を通りすぎて去っていった。そのうち幾らかは私たちの前で足を止めて、本を買ったり舞台のDVDの購入予約をしたり、あるいは私にサインを求めたりした。

 初めのうちは忙しかったが、だんだん帰り客の間隔が間遠になって、やがて途絶えた。

 あとに残ったのは舞台関係者のみ。

 佐藤さんと私は顔を見合わせた。

「おかしいですね? 川奈さんは、客席に赤いワンピースを着た女の子がいたのを憶えてますか?」

「はい。女優さんみたいな人がいましたよね。……佐藤さんも気がつきましたか?」

「ええ。出てきていませんよね? 変だなぁ。私たちの前を通らないと、帰れないのに」


 会場では、劇団の人たちが打ち上げの準備をしはじめていた。

 酒屋がビールやワインを配達してきて、その場で乾杯した。皆の輪の中にも赤いワンピースの姿は無く、誰に訊ねても、そんな人は知らないと言われた。

 以来、佐藤さんと私の間では、あれはサヨコさんだったのだということになって今に至る。


 では、いつもサヨコさんは赤いワンピースを着ているのかというと、そうではないだろうと私は思っている。

 その小劇場での怪異目撃談には、子どもたちを見たという話もある。

 劇団の演出部のスタッフが、セットの裏にスタンバイして切っ掛けを見極めるために覗き穴から舞台を覗いたところ、誰も居ないはずの舞台の上で複数の子どもが遊んでいたのだという。

 座敷童子は通説では五、六歳くらいの子どもの姿をしているとされているが、憑いた家により姿かたちが異なるともいい、十代の少年少女の格好を取ることもあるのだとか。

 性別が不明な場合もあれば、独りではなく複数の場合も、黒い獣や侍の姿だったという伝承もあるそうだ。

 本来、神や精霊には形が無く、座敷童子もまた、姿が定まっておらず、ただ、見る人の心に寄り添う姿かたちを取るのではないか。

 だから、『あかい、くつ。』の舞台を観にきたサヨコさんは女優のような姿で現れた。たぶん靴も赤かったのではなかろうか……。

 もちろん、こんなのは勝手な推測に過ぎず、サヨコさんは舞台に恨みを残して死んだ女優の幽霊かもしれない。

 座敷童子を見た人には良いことがあるというので、願望を込めて、そうだったらいいなというだけの話である。

 柳田國男の『遠野物語』の一七話には、座敷童子を指して「この神の宿りたまふ家は富貴自在なりといふことなり」と書かれているから、あの劇場のためにも、ぜひ、幽霊ではなく座敷童子であってほしいと思う次第だ。


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●川奈まり子 プロフィール

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作家。

『一〇八怪談 鬼姫』『実話奇譚 怨色』『少女奇譚』『少年奇譚』『でる場所』『一〇八怪談 夜叉』『実話奇譚 奈落』『実話奇譚 夜葬』『実話奇譚 呪情』『実話怪談 穢死』『迷家奇譚』『出没地帯』『赤い地獄』など、怪談の著書多数。

日本推理作家協会会員。


●声の出演


川奈まり子

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