〜初出~『第四九夜 京都旅行・伏見の憑き物』(川奈まり子の実話系怪談コラム 2016年11月13日・ニュースサイトしらべぇ)
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京都・龍谷大学のさる研究会で講演をさせていただいた二〇一六年一〇月某日、私は伏見の町家に宿泊予約を入れていた。
事前に、このことを花房観音先生に話したところ、花房先生は「そんなところにお宿があったかしら」と不思議そうなお顔をなさった。作家の花房観音さんは、小説の名手でありながら、京都観光に携わって久しいバスガイドでもある。
つまり、京都府内の観光事情については、単に京都在住だからという域を超えた知識をお持ちだ。そんな花房先生が、観光名所として名高い伏見稲荷大社の付近のその宿を知らないというのは意外なことだった。
「伏見稲荷の目と鼻の先ですよ。真ん前と言ってもいいぐらい。ご存じありませんか?」
「知りませんねぇ……。そんなところに町家さんがあったかしら?」
花房先生はしきりと首を傾げ、夕方、大学の講演前に宿に立ち寄ってチェックインするのだと私がいうと、「見てみたいから」と言って、一緒に宿までついていらっしゃった。
小体な町家はたしかにあった。
「あら、本当だ。町家さんがありますね。でも、閉まっているみたい」
花房先生の言うとおりだった。玄関前の敷地と道路の境界にナイロン製のロープが張られ、そこから見えるガラス窓の中には人影もない。
宿のホームページによれば、その窓の奥では喫茶店営業もしているはずなのだった。
ふつうの家とかわらない大きさの玄関のドアも、がっちりと閉まっている。
人を寄せ付けない雰囲気で、営業している宿とも思われない。
「結界が張られてますよ」と私は、半笑いで、膝の高さで端から端まできっちりと張り渡されたロープを指さした。
もちろん冗談のつもりだった。あまり面白くないと思ったが、先生は笑ってくださった。
「またいで行けってことかしら」
こう軽やかにおっしゃって、率先してロープをまたいで行かれるので、私も急いで「結界」を乗り越えた。
昨日のうちに予約確認の電話を入れており、そのときには女将と思われる年輩の女性の声が対応してくれて、何ら問題なかったのだ。
はたして、ドアの横に取り付けてあるインターフォンのベルを鳴らすと、同じ声がスピーカーから返事をした。
「はぁい。只今……」
女将が玄関のドアを開けると、花房先生は、「大丈夫そうですね。では、後ほど」と、安堵して行ってしまわれた。先生は研究会にも参加される予定だから、すぐにまた顔を合わせることになる。だから簡単にお見送りして、すぐに私は女将の方に向き直った。
小柄で痩せた、五十路の終わり頃か六十路に差し掛かったかという女性である。肉の薄い撫で肩が竹下夢二の絵の女に似ていて、さぞ着物が似合うだろうと思ったが、実際には白いセーターと白っぽい灰色のズボンという洋装で、私を奥へ案内した。
「すみませんねぇ。今日は喫茶店を閉めていて……。どうぞこちらへ」
少し笑みを含んだような、はんなりした調子で話す人だ。
ドアを入ってすぐのところが小さな喫茶店になっているが、なるほど、閉店している。
厨房に明かりはなく、天井の照明さえも点けていない。
まだ陽が落ち切ってはいないものの、鰻の寝床のように間口が狭く、奥に長く伸びた京町家特有の構造のため、建物の奥は薄暗く、なにやら洞穴に足を踏み入れるような塩梅だ。
初手から「結界」ロープといい、閉まっている喫茶店といい、奇妙な感じはあったが、しかし、本物の京町家に独りで泊まるのは初めてで、物珍しさと嬉しさが先に立った。
実は数年前に一回だけ、同じ府内でももっと繁華な場所の町家に泊まったことがあるのだが、そのときは老いた両親と当時は手のかかる幼児だった息子と夫が一緒だったのである。宿の造りをゆっくり鑑賞するゆとりなど、ろくすっぽなかったのだ。
今回は満喫できる。ほっそりした女将は、しなやかな手つきで廊下に嵌った障子を開け、坪庭や二階を指さして解説した。宿泊客に毎日、こうして講釈していることがうかがえる、よどみのない口ぶりだった。
庭は四畳もなさそうだが、苔が青々とし、石灯籠なども据えられ、古刹の庭のような風情がある。二階の客室の窓は、一階の縁側のあるのと同じ掃き出し窓になっているようで、廊下からの転落防止に、木製の柵が設けされている。その柵に至るまで、いちいち古都の雰囲気を纏っているように思い、私は大いに感じ入った。
一夜の居室となる部屋も、十畳の一間に変形の四畳ばかりの板敷も付いて、ひとりで泊まるには贅沢な広さであり、調度品の趣味も申し分なかった。
女将に勧められて、座布団に腰を落ち着けて漆塗りの小卓に向かうと、目の前に、さきぼどの坪庭があった。
「いい景色ですね」
「はあ……。こちらにサインを……」
本気で感動したのだが、女将は別段、喜ぶふうではない。たぶん、来た客が皆、私のような反応を示すので、慣れてしまっているのだろう。
なんというか「白っぽい」感じのする女将さんだ、と私はひそかに観察しながら、出された書類にサインをした。
女将は服装も白っぽいが、肌の色もたいへん白い。化粧は全然していないか、ごく薄いようなのに、天然の色白の肌である。
盗むように人を観察するのは私の悪い癖だ。見られている方は良い気分はしないに違いない、と思いつつも、女将の顎が三角に尖っているようすを羨ましく眺めた。
近頃、私の顎は贅肉を被りはじめており、線が曖昧になってきているのだ……。
その後、講演は無事に終わり、講演後の懇親会にも参加し、それもお開きとなった。
花房先生と大学の先生お二方と一緒に京阪本線に乗り、私だけ、伏見稲荷駅で下車した。
花房先生たちは、もっと先の方で降りるのだ。降り立った駅のホームからお別れを申し上げて、行く電車を見送った。
ホームの時計を見れば、すでに午後一一時半だった。線路の向こうは、ふっつりと闇だ。駅舎から出ると、潔いほど辺りが暗い。
もっと街灯をつけるべきだ、と心の中で文句をいいながら、スマホを取り出した。
最近、理事長に就いた団体の事務局長から、スマホを持つように厳命されて、仕方なく使うようになったのだが、利用しはじめると、グーグルマップなどはパソコンよりもスマホの方が使い勝手がいいことに気づいた。
これさえあれば、何処に行こうとも迷子にならないのである。文明の利器は闇に打ち勝つのだ、と、私は夜の帳を睨みながら、グーグルマップで自分の位置を確かめた。
私の宿は、奈良線の稲荷駅の近くだ。ここ京阪本線の伏見稲荷駅からも、きわめて近い。
電車を降りる前、同行していた大学の先生が、「稲荷駅まで五分くらい」とおしゃっていた。「お稲荷さまの真ん前じゃないですか?」とお訊ねになるので、そうだと答えると、「なんでそんな寂しいところに泊まろうと思ったんですか」と呆れ気味にいわれた。
京都の伝統をリスペクトしているので、伝統的な町家に泊まってみたかったのだと私は答えた。チェックインする前なら、「本当はもっと繁華なエリアにある町家の宿が良かったのだが、もうそこしか空いていなかったので致し方なく」と答えたかもしれない。しかし、あの宿を女将に案内された後なので、しょうがなく……といった気持ちは消えていた。
晴れ晴れと嬉しく、喜んで泊まらせていただくつもりだった。
深夜の伏見区の第一印象は「暗い」の一言に尽きた。
伏見にお住いの方には申し訳ないが、正直な感想なのだから許していただきたい。街灯が、飛び飛びに付いているわけだが、間隔が開きすぎているのではないか。
しかし、これは私が東京都の港区の渋谷区にも近い辺という、日本随一の賑々しい場所からやってきたせいの偏頗な意見なのかもしれない。いや、間違いなくそうだろう。
昼夜の別なく、のべつまくなしに舗道が明るく、深夜でも人通りが絶えないことの方が、日本全国各地の事情に照らせば、変わっているのに違いあるまい。
ああいう俗な都会には狐狸妖怪の類は棲めないだろう――と私は周囲に神経を尖らせながら思った。ここ京都市伏見区深草藪之内の夜更けは、狐狸妖怪が跋扈できる闇を未だに湛えている。いや、これは素晴らしいことだ。さすが古都は違う――とかなんとかしきりと頭の中で言葉を繰り延べていた理由は、ようするに怖いからだった。
スマホのグーグルマップの明るさには、勇気づけられた。
伏見稲荷駅から離れると、人通りも絶えてしまった。この辺の人々は夜になればうちに帰って休むのかしら? それが本来の人の営みで、渋谷や原宿の方が異常なのだろうが……。
……ひたひたと、背後から足音が迫ってきた。
おっかなびっくり振り向くと、お爺さんが早足で歩いてきていた。手に重そうな鞄を下げた格好からして、仕事帰りだろう。どうということはない。歩を緩めて追い越させた。
ああいう人が、どんどん歩いてきたらいいのに。
嫌なことに、夜中だというのに、どこかで鴉がカアと鳴いた。
おまけに、何かしきりと、湿った土の匂いがしてきた。
グーグルマップによると、稲荷山という山が、すぐそこに控えている。
人家は、鳥羽街道とJRと京阪本線の線路という三本のラインが描く、抽象的な川の周辺に固まっている。表現を変えるなら、鴨川と稲荷山に挟まれたベルト地帯に町がある。
山は、すぐそこだ。背伸びして人家の屋根の向こうを透かし見ても、真っ暗闇に視線が吸い込まれるばかりだが……。
何か、奇妙だ。歩けども歩けども、稲荷駅にも宿にも着かない。
こんなはずがなかった。五分くらいと龍谷大学の先生が仰っていたではないか。
花房先生も、「ええ。すぐそこですよ」と、うけあってくださった。
グーグルマップでも、伏見稲荷駅と稲荷駅は、ごく近くに表示されていた……いや、いる。
私は、いったいどこにいるのだろう?
どういうわけか、私自身の位置情報が少し前から表示されなくなっていた。
――ここは本当のところ、どこなのか?
周囲は古い住宅街だ。道の左右に住居がある。商店は無いか、あってもシャッターを閉ざしている。そして、人っ子ひとり通らない。
辺りが静かすぎるために、自分の足音が歪んだ反響を伴って耳につく。
家の外壁やコンクリや石の塀に音が当たって、こういうふうに響いているのだとわかってはいるのだが、地下へ降りる階段でも歩いているかのように、ビーンビーンと靴音が響くように感じられた。
住宅街なのに、土の匂いは、いよいよ濃厚になり、それも私の普段の生活感覚からすると違和感がある。町に土は匂わないのだ、普通は……と、腹を立ててもしょうがないのだが、さっきから、何か尋常ではない雰囲気がある。
どこが変かと問われても、匂いが、とか、音が、とか、「気のせい」レベルのことしか挙げられないけれど……。
思うに、私は、ずいぶん辛抱強く歩いた。
懇親会は中華料理屋で開かれて、紹興酒をだいぶいただいたのだが、酔いはとっくに冷めていた。みんなで歓談したひとときが、今は夢のように遠くなった。
スマホが故障したようで、私の位置のみならず、時刻も表示されなくなった。
どう考えてもおかしい。三〇分以上も歩いている。道は単純で、とっくに到着していなければ変だ。
あまりにも異常に思われて耐えがたくなり、来た道を引き返してみた。
すると、通った覚えのない片側が大谷石の崖になった道に出た。
崖の上は山だろうと思ったら怖くなって、道の反対側の住宅街の路地に咄嗟に入った。
路地は迷路のようであり、ぐるぐると必死に歩いていたら、鞄を提げた老人に追い越させたところに戻ってしまった。
迷子になった。五〇を過ぎて迷子になろうとは、なんと恥ずかしい。
でも、お爺さんに追い越された場所は、伏見稲荷駅のすぐ近くのはずだ。振り出しに戻ればいい。そうだ、そうしよう……。
はたして、それからすぐに、煌々と明かりが点いたコンビニエンスストアを発見した。
私はコンビニエンスストアの店員に、稲荷駅までの道を訊ねた。
親切な店員さんで、どうやったってもう迷子にはならないぐらい具体的に道を教えてくれた。右に行って、ひとつ目の角を左に曲がって、踏切を渡って直進して……という、幼稚園児だったとしても間違わないような案内だった。
たいへん有り難かった。もう二度と迷子は御免である。
コンビニで缶ビールと乾きものを買い、レジの後ろの時計を見ると、深夜零時に近かった。
一時間近く、歩きまわっていたことになる。
今度こそ絶対に道を違えずに行こうと決意して、缶ビールなどの入ったレジ袋を提げてコンビニを出た。
そして、あっという間に、ひどくあっさりと、JR稲荷駅の前に着いた。
稲荷駅の横にもコンビニがあり、コンビニの真正面が、道路を隔てて、伏見稲荷大社なのだった。
参道の左右のぼんぼりに明かりが入っており、光を撒いたように石畳が奥まで照らされている。
御社や赤い千本鳥居のようすを、私は脳裏に蘇らせた。家族で京都旅行したときに観て、神秘的な美しさに打たれた千本鳥居、神社の門の中では最も規模が大きいと言われる楼門の威容などを思い浮かべた。伏見稲荷の楼門は、天正一七年(一五八九年)、豊臣秀吉が造営したそうだ。
秀吉は、母の大政所殿の病悩平癒を祈願して、伏見稲荷大社に一万石を奉加したとされ、そのときに記した文書は「命乞いの願文」と呼ばれて今に伝えられているという。
全国に三万社あるという「お稲荷さん」の総本山、それがここ伏見稲荷なのだ。
京都へ来て、ここを訪れない愚があろうか。
けれども明日は、午前十時に京都新聞社へ行って取材を受けることになっている。
明後日は朝から団体の事務所に行かねばならず、留守中に家事がたまっていることを思えば、取材が終わり次第、東京に帰った方がよさそうだ。
新聞社に行く前に、早起きして参詣すればいいわけだが……。
伏見稲荷は夜間でも参拝できると、龍谷大学の研究会にいらしていた誰かが話していたっけ。
私はそんなことを思い出し、コンビニの光を背に、道の向こうの参道を眺めた。
ぼんぼりの明かりが濡らす石畳のうんと向こうに、楼門がそびえている。朱塗りの構えに屋根を乗せ、暗がりにあっても、楼門は、すっきりと端整な顔を見せていた。
道を渡ると、再び濃い土の匂いが鼻腔に流れ込んできた。が、御社は山に建っているのだから、これは不思議でもなんでもないと割り切れる。
――広い敷地内を踏破しようというつもりはない。ほんのさわりだけ、見てみよう。
明かりが点いているようだし、地元の人が、夜でも参拝できると話していたのだから、平気だろう。
そのときの私は、さっきまで迷子だったことも忘れて、すっかり平常心を取り戻していたのだった。
ところが、ぼんぼりの挟まれた出入り口の鳥居をくぐったとき、前の楼門の階段の下に灰色の人影が現れた。
さっきからそこに佇んでいたのか、階段を下りてきたのか、わからない。
気づいたときには、階段の手前に立っていた。
遠い薄暗がりにいるため、目鼻立ちや服装の細かなところはわからないが、ほっそりした人型が、しなしな、ゆらゆら、なんだか酔っぱらったような歩容で、左右に体を揺すりながら、こっちへ向かってくるではないか。
それを見たら、何やらおっかなくなって、参道から踵を返して、コンビニの前に取って返し、まっすぐ宿に向かったのだった。
女将には、帰りはどんなに早くとも夜九時を過ぎると伝えてあった。
私がそう言ったとき、女将は少し困った顔を見せて、自分はここには住んでおらず、通ってきているのだと話した。夜の九時か一〇時頃には、宿の玄関に鍵を掛けて、自宅に帰ってしまうのだという。
「家は、すぐ近くで、いつでも飛んでこられるんですが」
と、字に直すと標準語だがイントネーションは京都風になりながら女将は言い訳のように述べると、申し訳なさそうな表情を見せた。
そして、玄関の電子錠の開け方を教えてくれたのだった。
宿の前に来ると、夕方に見た「結界」もとい、ロープがまだ張られていた。
直径一センチか一センチ半ぐらいのナイロンザイルで、工事現場などでもよく見かけるロープである。神秘性はなく、ホームセンターを想起させるようなものだが、左右の端に隙間もなく、またがなければ入れないようにしてあるため、やはり気分が穏やかでなくなる。
しかし、くよくよしていると、伏見稲荷の参道からさっきの灰色のやつが、しなしなゆらゆらと迫ってきそうな気がして、急いでロープをまたぎ、玄関の電子錠を開けて、町家の中に入った。
――シーンとしていた。
他の宿泊客は、もう眠っているのだろう。
それにしても真っ暗だ。廊下の明かりぐらい点けておいてくれればいいのに、と恨めしく思いながら、自分で電気を点け、坪庭の横の縁側を通って借りた部屋に入った。
坪庭の石灯籠にだけは火が灯っていて、部屋の中からもよく見えた。
火といっても、電球が仕込んであるのだろうが、雰囲気は佳い。
留守中に女将が布団を敷いておいてくれていて、そのために漆塗りの小卓が窓辺に移動させられていた。湯上りに浴衣に着替え、コンビニで買った缶ビールを小卓に置いて、座布団に横座りになって坪庭を眺めた。
ここに掃き出し窓に嵌っている障子は、ちょっと変わっていて、猫間障子と呼ばれるものだ。似たようなので雪見障子というのがあるが、あれはガラスが下側に嵌っているだけである。猫間の方は、障子の下半分が二重になっていて、表側にある障子紙が張られた一枚は、上に持ち上がるようになっている。しっかり持ち上げると、障子の左右の桟に仕込まれたバネで留まる仕掛けが付いており、下半分から外が見える。
面白い仕組みで、昔は、本当に、飼い猫にここから出入りをさせたため、猫間障子という名が付いたそうだが、現代ではたいがい、障子の後ろはガラスの嵌め殺しになっているから、障子の嵌った半分を上に持ち上げても、猫は出入りできない。
――今日は色々なことがあったな。
花房観音先生と訊ねた化野念仏寺や清滝トンネルでも、怪異と呼んでさしつかえないような出来事に遭遇した。また、私は大学で講演したのは今日が生まれて初めてだった。散々迷子にもなったし、伏見稲荷では揺れながら歩いてくる「人」を見た。
――あれは「人」だよな。手足がついていたし。
灰色で、上半身と下半身がそれぞれ別の意志を持っているみたいに、奇妙な動きを見せていたように思ったが。
――酔っ払いだろう。
私も酔う必要がある。うそ寒い気分になるばかりだ。しかも現実問題として、一〇月にしてはやけに気温が低いようだ。エアコンの暖房をつけて、缶ビールのプルトップを開けた。
ピシャーン!
ガラスが割れるのではないかと思ったほど、凄まじく尖った音を立てて、上にあげておいた猫間障子が閉まった。
ひとりでに。
触っていないのに。
底辺の桟が下枠に打ち付けられて弾むほどの勢いで、猫間障子の下半分が落ちてきて閉まり、坪庭が見えなくなった。
障子の向こうに何かがいるような気がし、私は息を詰めて窓の方を見つめた。
暫くは、何の音もしなかった。
しかし、やがて、天井の方から、ミシリ……と人が歩く気配を伴った物音が伝わってきた。
ピシャーンという今の音で、二階の客が目を覚ましたのだろうか。
足音はミシミシと続き、そのうち、障子を開け閉てする音がした。それで二階の縁台に出たようだと推測できた。
私のせいではないが、起こしてしまったのは申し訳なかった。
――障子を開けて、声を掛けてみようか。
人寂しくもあった。今、勝手に落ちた猫間障子に触るのは気味の悪いことではあったが、触ってみれば、なんのことはない、普通の障子としか思えない。
開ける前に、障子を上にあげてバネで留めた。バネが弱っていて、落ちたのではないかと考えた。だったら不思議なことはないわけだが、バネは非常にしっかりしていた。
たぶん掛け方が悪かったのだろう。もう大丈夫だ。そう思って、私はいったん窓辺を離れた。浴衣のうえに羽織るために上着を取りに行ったのだ。
ところが、障子に背中を向けた途端、ピシャンと、再び音を立てて猫間障子が落ちた。
こうなると、もう、障子を開ける気がしなかった。
二階の客は、それからもずっとゴソゴソと絶えず動き回り、ミシリミシリと天井が鳴って、まんじりともしないうちに夜が明けてしまった。
そして午前七時、私は朝食を宿の出入り口のところにある喫茶店で食べることを希望していたのだけれど、部屋で食べてほしいと女将が言いに来た。
「他にお客さんがいないので、出来ればお部屋で召し上がっていただけませんか」
寝不足の頭で「いいですよ」と快諾して、女将が行ってしまってから、鳥肌を立てた。
朝食を運んできた女将に、「他に誰も泊まっていなかったんですか?」と訊ねた。
「ええ。いませんでした」
「従業員の方などは……」
「いえ、今のところは私ひとりで切りまわしておりますので」
女将の白くて顎が尖った顔がだんだん狐に見えてきたので、それ以上、追求するのはやめてしまったが、二階にも誰かいたのは確実なことだった。なぜなら、夜明け前、小用のために廊下に出た際に、二階の縁台から坪庭を眺める人影を見たのだ。
「おはようございます」と挨拶したが無視された。
まだ薄暗かったし、私の声が届かなかっただけかもしれないと思って、気に留めずにいたけれど、あの人は此の世の者ではなかったのかもしれない。
翌日、団体の事務所で仕事をし、そろそろ片づけて帰ろうかという夜の八時頃、京都であったことを事務局長に話していると、事務所の壁や窓を、何かがカリカリと引っ掻きだした。
姿は見えない。しかしカリカリコツコツと、硬い爪か刃物で引っ掻いたり叩いたりするものが、来た。
うちの事務局長は還暦を少し過ぎた紳士で、非常に知的で、たいへん沈着冷静な人物である。このときも落ち着いたものだった。
ただひとこと、こう呟いただけで、彼は済ませた。
「京都から連れてきましたね?」
作家。
『一〇八怪談 鬼姫』『実話奇譚 怨色』『少女奇譚』『少年奇譚』『でる場所』『一〇八怪談 夜叉』『実話奇譚 奈落』『実話奇譚 夜葬』『実話奇譚 呪情』『実話怪談 穢死』『迷家奇譚』『出没地帯』『赤い地獄』など、怪談の著書多数。
日本推理作家協会会員。
川奈まり子
さやさや花
相樂真太郎