【里方】

川奈まり子
「オトキジ」怪談連載October 01, 2020

作・川奈まり子

KADOKAWA 怪談専門誌『幽』29号(2018年6月29日発売)掲載

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 妹の冬子が飼っていた鸚哥が死んだ。

 宵の口に、覆いを掛けてやろうとした冬子の目の前でひとりでに鳥籠が上下左右に激しく揺れはじめ、揺れが止まったときには鸚哥は籠の目から片足だけ突き出して逆さ吊りになっており、すでにこと切れていたそうだ。

「先週のことよ。鳥籠が嵐みたいに揺れてるうちは、凍りついちゃって助けられなかった。亡骸を触ってみたら、かわいそうに、頸がぐにゃぐにゃになってたわ。何かの警告なんじゃないかしら? 厭なことが起きそうな気がする」

 怪奇現象や悪い予感を語るとは、冬子らしくない。

 私が知るかぎりこの子は合理的精神の信奉者で、オカルトやお化けの類は敬して遠ざけるたちなのに。ついでに姉の私も遠ざける節も日頃から見られた。

 三月下旬の忙しそうな時期に急に訪ねてきて、こんな話をするなんて、珍しいこともあるものだ。

 冬子は外資系企業に長年勤める高学歴なキャリアウーマンであり、年老いた両親と八王子の実家で同居しつつ、三人の子どもを育てているシングルマザーでもある。そんな彼女にとって、前職がセクシー女優で五年前までポルノ小説を書いていた現在実話怪談作家の姉は、存在するだけで迷惑な存在なのだ。

 鸚哥の死に方がよほど怖かったのだろうと思っていたら、自分で自分に言い訳するように「今日まり子さんを訪ねたのはね、おかしなことがまだ他にもあるから」と言った。

 聞けば、実家では、夜が来るたび鳴ってしまうので火災報知器が八年前からいちども設置できないでいるとのこと。

 日没後、家じゅうに八基ある火災報知器が一斉に発報しだして、スイッチを切ろうが電池を外そうが怒ったように鳴りやまなくなるのだという。

 東京都では二〇一〇年から条例によって住宅用火災警報器の設置が各戸に義務づけられている。こんなことで八年間も都条例違反するはめになるとは、と冬子は嘆いた。

「何度設置しなおしても同じことが起きるから、まとめて押し入れにしまっちゃった。あとはね、一階の和室の障子に女の人の影が映るの」

「それはオバケじゃなくて真知子叔母さんよ」

真知子叔母は父の妹で、結婚後、攻撃性を伴う精神障害を発症して、もう三〇年以上、入院している。仮退院するたび暴力沙汰を起こしては入院措置が取られるうち、近頃では精神病院の方でも外に出さないことに決めてくれた。が、たまに脱走してくる。真知子叔母は実子や祖母を殺しかけたこともあって、本当に恐ろしい。祖父母が亡くなっても、私の実家が叔母の里方でもありつづけるのは迷惑なことだ。

「私も離婚後あそこで寝起きしてた時期に、障子に映った女の影をいっぺん見たけど、名前を呼ぶと逃げていったよ。ほら、叔母さんてば、お祖母ちゃんたちが生きてる頃、あの和室にいつも庭から上がり込んでたじゃない?」

「違う。あれは真知子叔母さんじゃないよ。まり子さんも、来ればわかる」

 そろそろ親に顔を見せにいかなくては、と考えていた矢先だった。父は八二歳、母は七六歳になる。二人ともいつ逝ってもおかしくない歳なのに、私は二年余りも実家に帰っていなかった。

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 それからひと月半後の五月中旬の朝、実家訪問を決行した。門を開けて庭に入り、九歳から二〇歳まで暮らしていた家と久しぶりに対面した。昔、祖父母が使っていた和室の障子が日差しを受けて白く光り、やけに目につく。

 そこに女の影が映り、「真知子叔母さん」と呼びかけたら逃げていったのは二〇年以上前のことだ。あの南向きの八畳間に、私は一週間ばかり起居しただろうか。沓脱石を下に置いた掃き出し窓に四枚引きの障子が付いた、陽当たりがいい部屋だが、隅にポツンと置かれた仏壇の扉の立て付けが悪く、気がつくと半開きになっているのが少し不気味だった。

 当時の記憶を反芻しつつ庭から和室の方を眺めていると、障子が細く開いた。隙間からこちらを窺っているようだ。母だろうと思い、和室の方へ大股で庭を横切って行きながら、「こんにちは。来たよ」と声を張りあげた。

 すると二階の窓がガラガラと開き、「早かったわね」と母が顔を突き出して私を見た。

「あれ? 今、和室にいるの、お母さんじゃなかったんだ?」

「おじいちゃん(父のこと)かしら。ときどき仏壇に手を合わせてるから」

 ところが父は、私が家に入るとすぐに、玄関の横の書斎から出てきた。

 母も二階から下りてきて、冬子は会社、甥っ子たちも学校に行っていると私に説明した。小一時間も両親と歓談し、昼になると私の奢りで寿司の出前を取って三人で食べた。

 食後、両親を休ませるために、私はひとりで近所に散歩に出掛けた。

 門を出ると、真ん前に灌木に覆われた急斜面が立ち塞がっていた。山麓の宅地は風水では凶相だというけれど、なるほど、いつ見ても異様な光景だ。山裾を廻る道路を間に挟んではいるものの、斜面まで二〇メートルもない。

 この山の名前は大塚山。絹の道とも呼ばれる神奈川往還の中継地点で、尾根に道了堂という曹洞宗の寺院が建てられ、景勝地として栄えた時期もあるという。しかし一九六三年に堂守の女性が殺害されると道了堂は廃寺になり、私たちがここに移り住んできた頃には山は荒れ果てていた。その後、一九九〇年に整備され、現在は大塚山公園として蘇っている。

 これといった理由もなく、なんとなく大塚山公園の散策路に足を踏み入れていた。小径を歩き、道了堂跡地の広場に行った。九歳から一〇歳の頃は三日にあげずここへ遊びにきていたものだが、別の場所のように様変わりしている。目を瞑ると、鮮やかに往時の景色が蘇った。蔦が絡む堂宇。仄暗い縁の下。鼻が欠けた鬼子母神像や首のない地蔵――。

私の真正面で少女の声が歌うように節をつけて「もういいよ」と言い、驚いて目を開けたが、前には緑に苔むした基壇があるばかりだった。


日暮れ前、一階の和室で、今晩自分が寝るための布団を敷いていると、夕焼けが茜色に照らす四枚引きの障子の右端に、ざんばら髪の女の影が映った。

 右から左へ、のろのろと移動してゆく。

「真知子叔母さん?」

応えは無く、影は障子の左端に吸い込まれるように消えた。叔母が逃げたのだと今回も決めつけたかったが、「来ればわかる」と冬子に言われている。正体を見届けるために、急いで障子を引き開けた。

 誰もいない。

 唖然としたそのとき、今度は押し入れの中からけたたましいブザーの音が始まった。襖越しだとは思えない喧しさから、家じゅうの火災報知器がまとめてそこにしまってあるのだと察しがついた。放っておくわけにもいかない。

 この騒音をどうにかするために、まずは押し入れを開けなければ。

 ……開けたら途端に鳴りやんだ。


 その晩は一睡もできなかった。しかし、自分のうちに帰ってから道了堂で妹と隠れ鬼をする夢をときどき見るようになったことを除けば、それ以降、今のところ何事もない。

 夢では、私が鬼になって目を瞑っており、「もういいよ」と境内のどこかで冬子が呼ばわる。道了堂の堂宇が朽ちながらも建っており、私たちは姉妹そろって子どもに戻っている。

 尚、押し入れで鳴ったのはやはり火災報知器で、八基とも電池は抜かれていて、冬子はぜんぶ捨てて新しく買い直すと言っている。

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●川奈まり子 プロフィール

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作家。

『一〇八怪談 鬼姫』『実話奇譚 怨色』『少女奇譚』『少年奇譚』『でる場所』『一〇八怪談 夜叉』『実話奇譚 奈落』『実話奇譚 夜葬』『実話奇譚 呪情』『実話怪談 穢死』『迷家奇譚』『出没地帯』『赤い地獄』など、怪談の著書多数。

日本推理作家協会会員。

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